工場跡地を狙う海自
呉・横須賀といえば、戦前から続く軍港都市であって、いまも海上自衛隊が基地を置いています。しかし、呉基地はともかく、横須賀の「一等地」は在日米海軍が奪い、海自は隅っこに追いやられました。
こればかりは敗戦の結果とはいえ、近年は海自艦艇の大型化と増勢が進み、欧州勢などの外国艦艇の来日も増えたため、基地の収容能力が不安視されています。
ただでさえ岸壁が手狭だったり、係留場が足りないにもかかわらず、小型掃海艇は大きなフリゲートに変わり、輸送艦艇や補給艦も増やす予定です。現状でも護衛艦は接岸ではなく、艦同士で横並びに「メザシ係留」を行い、狭い土地でやり繰りしています。
このままではキャパ・オーバーになり、現行の基地機能では対応しきれません。これは横須賀に限らず、どの基地も似たり寄ったりであり、能力拡張が急務になりました。
こうした懸念のなか、呉では隣接する日本製鉄の跡地を、横須賀では近隣の日産工場の跡地を買い、事実上の基地拡張を狙う動きが見られます。実際のところ、前者はすでに買収契約を結び、呉市の合意を取り付けながら、複合防衛拠点にする計画です。
呉:日本製鉄の跡地
まず、呉基地の拡張について。
他の海自拠点と比べた場合、呉基地は最大の係留能力を誇り、桟橋・岸壁の数では恵まれています。さはさりながら、護衛艦と支援艦艇の大型化が進み、横須賀より配備数が多い点をふまえると、拡張するに越したことはありません。
呉基地のすぐ隣を見ると、日本製鉄の瀬戸内製鉄所(呉地区)があるものの、2023年の操業停止にともなって、その広大な面積がいきなり「空き地」になりました。
すかさず防衛省が土地の購入を狙い、複合防衛拠点を整備する方針を掲げます。
本来であれば、基地の拡張は地元で反対運動が起きたり、自治体がなかなか容認しないところ、意外にも呉市はあっさりと同意しました。これは戦前から「東洋一の軍港」と呼び、戦後も海自の拠点になった呉だからこそ、成せた技といえるでしょう。少なくとも、これが沖縄だったらあり得ません。
では、新たに整備する複合防衛拠点とは何か?
買収する跡地は約130ヘクタールにのぼり、既存の呉基地(84ヘクタール)の約1.5倍です。いきなり呉基地が2倍以上に広がり、新しい岸壁などの港湾施設はもちろん、装備品の開発・整備施設を置き、無人機の製造工場や火薬庫、燃料タンクも新設します。
さらに、一部区画では民間企業を誘致して、防衛装備品の研究・開発拠点にしたり、災害救援物資の集積所をつくって、周辺地域の防災拠点にするようです。
三菱重工業のような防衛企業も加わり、ドローン分野のベンチャー企業などを誘い、防衛産業のスタートアップ拠点を目指します。
海自の目線で見ると、艦艇の係留場所が一気に増えるほか、整備・補給能力の飛躍、宿舎と厚生施設の増設が見込めるでしょう。
一方、地元(呉市)のメリットも大きく、隊員の流入にともなう人口増、企業誘致による税収の増加、防災機能の強化を期待できます。
いずれにせよ、規模・能力的には他の基地を上回り、「東洋一の軍港」の異名に恥じぬ、巨大な海軍基地になりそうです。
ちなみに、製鉄所の跡地の歴史をさかのぼると、かつて戦艦大和を建造した海軍工廠がありました。それゆえ、今回の買収で「海軍」の手に戻り、再び軍事拠点として復活するといえます。
横須賀:日産工場の跡地
一方、横須賀に目を向けると、旧海軍基地の大部分はアメリカ第7艦隊が使い、海自は約3割しか利用できていません。
具体的には吾妻島を挟み、吉倉と長浦地区の2つに分かれており、前者には護衛艦などの大型艦艇が、後者には掃海部隊が停泊しています。
一応、吉倉地区に新たな岸壁をつくり、前述の岸壁不足が緩和されたとはいえ、それでも手狭で不便なのは否めず、本音では主要部分を取り戻したいはずです。
このような閉塞感のなか、日産自動車の経営悪化にともない、追浜工場が閉鎖することになりました。この工場は海自の横須賀基地に北側にあって、約54.7ヘクタールの敷地面積を誇り、自動車を出荷するための埠頭があります。
もし入手できれば、そのまま岸壁として利用できるほか、東京ドーム36個分の敷地を活かして、新たな補給・整備拠点は言うまでもなく、ヘリ用の飛行場さえ建設可能です。
少なくとも、係留場所の不足は解消されるうえ、呉基地のように研究・開発施設を置き、複合防衛拠点になる潜在能力は秘めています。
しかしながら、実際の跡地利用は決まっておらず、日産は自動車の生産は停止すれども、別の方法で活用したいそうです。周辺自治体への影響、特に雇用面での衝撃を考えると、そう簡単には立ち去れないのでしょう。
ただ、日産の経営不振が変わらない限り、最終的に土地を手放す可能性は高く、防衛省は虎視眈々と狙っています。
米海軍からの返還が見込めない以上、海自は別の場所に拡張せねばならず、北側に広大な空き地が出現するならば、これを活用しない手はありません。呉基地の構想と同じく、防災機能の強化や企業誘致に取り組み、自治体と地元住民の理解を得られたら、複合防衛拠点として整備すべきです。
こちらも歴史をひもとくと、本来は旧海軍の追浜飛行場があったところ、戦後は日産の自動車工場になりました。したがって、仮に海自の拠点になった場合、再び「海軍」の手に戻るわけです。
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