初のヘリコプター護衛艦
太平洋戦争の教訓をふり返ると、日本は死活的なシーレーンを守れず、米潜水艦の跳梁を許しました。
それゆえ、海上自衛隊は「対潜戦」に力を注ぎ、対潜ヘリを重点的に活用すべく、創設期から護衛空母を志向しました。ただ、国内外の反発をふまえると、再び空母を保有することは難しく、まずは護衛艦でのヘリ運用から始めます。
船団護衛には護衛艦8隻、対潜ヘリ6機が必要との考えの下、いわゆる「八六艦隊」計画が始まり、1隻にヘリ3機を詰め込んだ結果、「はるな型」が生まれました。
ヘリ3機を運用する以上、船体後部に飛行甲板と格納庫を持ち、基準排水量は4,700トンに増えるなど、旧海軍の軽巡洋艦並みになりました。
- 基本性能:「はるな型」護衛艦(就役時)
| 排水量 | 4,700t(基準) |
| 全 長 | 153m |
| 全 幅 | 17.5m |
| 乗 員 | 370名 |
| 速 力 | 31ノット(時速57.4km) |
| 兵 装 | 5インチ速射砲×2 アスロック発射機×1(8連装) 三連装短魚雷発射管×2 |
| 艦載機 | 対潜哨戒ヘリ×3 |
| 建造費 | 約90億円 |
「はるな型」は1973年に就役しましたが、この頃は技術の進歩にともなって、たとえ駆逐艦クラスであっても、ヘリを搭載できるようになりました。
具体的に説明すると、減揺装置で船を安定化させるとともに、着艦拘束装置で安全な離着艦を行い、格納庫からの移動を容易にしました。こうした新技術と工夫により、揺れる海上での作業にもかかわらず、安全で効率的な航空運用を実現しました。
そして、この着艦拘束装置は試験運用を除くと、海自では「はるな型」が初めて組む込み、いまや護衛艦の標準装備となっています。
当初は「HSS-2」を搭載していたものの、2番艦の「ひえい」では改良型に変わり、その後は「SH-60J」に更新されました。いずれにせよ、ヘリ3機の搭載能力は海自どころか、就役時は世界でもほとんど例がなく、独特の運用思想を反映していました。
そのため、海自初のヘリコプター護衛艦、いわゆる「DDH」にあたり、冷戦後期の対潜護衛隊群の中核を担い、戦力増強の立役者になります。1980年代には護衛艦8隻、ヘリ8隻による「八八艦隊」を目指すも、3機を搭載可能な「はるな型」の重要性は変わらず、引きつづき航空運用の中心でした。
兵装と近代化改修
一方、後部に航空運用装備を集めた分、兵装は船の前部に集約せねばならず、5インチ砲×2、アスロック発射機を配置しました。
ちなみに、1974年に東京湾でタンカー火災が起きた際、「はるな」は護衛艦3隻を率いて現場に赴き、5インチ砲で海没処分しています(第十雄洋丸事件)。

5インチ砲の火力はあれども、やはり防空能力では不安が残り、1983年に近代化改修を受けたとき、新たに20mm CIWSを導入したほか、後部にシースパロー対空ミサイルを置きました。
なお、同改修ではレーダー・電子機器の更新を行い、ミサイル警報装置や電波妨害装置も追加しました。戦術情報処理機能も加わり、味方艦艇との情報連携に対応するなど、艦隊における作戦能力が飛躍しました。
「しらね型」の登場後
「はるな型」は登場して以降、海自では中心的存在として扱い、外国との共同訓練に参加したり、親善訪問に派遣されてきました。ところが、1980年に「しらね型」が就役すると、海自の「顔」はそちらに移り、やや存在感が低下してしまいます。
それでもなお、海自随一の航空運用能力を誇り、「八八艦隊」で4個護衛隊群が編成されると、「しらね型」とともに艦隊旗艦を務めました。
「はるな型」「しらね型」を比較すれば、航空運用能力は同じとはいえ、後者の方が防空能力が高く、最初からシステム化を果たしていました。この性能差は前述の近代化改修で縮まるも、新型ソナーの追加は実現せず、単体での対潜能力は劣ります。
いずれにせよ、「はるな型」はDDHの道を切り開き、現在の「ひゅうが型」ヘリ空母、「いずも型」軽空母につながりました。
すなわち、妥協から始まったにもかかわらず、時をかけて海自の航空運用能力を磨き、悲願だった空母保有を実現したわけです。この歴史的事実を考えると、「はるな型」の意義は大きく、旧海軍の水上機母艦(若宮)に匹敵する存在です。
最終的な艦齢は36〜37年におよび、「ひゅうが型」の就役にともなって、「はるな」は2009年に、「ひえい」は2011年に退役しました。両艦を合わせると、地球92周分を走り回り、ヘリの総着艦回数は10万回を超えました。


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