国際秩序を揺るがす暴挙
2022年2月、ロシアは約19万人でウクライナに攻め込み、国際社会に衝撃を与えるとともに、戦後の国際秩序に思いきり挑戦しました。この戦争行為に対して、西側諸国は一斉に非難しながら、経済制裁を課したり、ウクライナ支援に取り組み、日本もその一員に加わってきました。
ところが、世界では「親露的」な擁護論も目立ち、なぜか戦争責任を加害者ではなく、被害者に見出す意見が絶えません。この傾向は戦争が長引くにつれて強まり、ウクライナに戦争継続の責任を問う声が多くなりました。
日本はウクライナ支持が多いとはいえ、一部ではロシア擁護論が根強く、戦争を始めたプーチンではなく、抵抗するゼレンスキーを責め立てます。ロシアの世論工作がある程度は入り込み、アメリカへの反発にともなう親露感情が加わり、少数ながらも厄介な存在です。
なぜ日本はウクライナを支援すべきか、については以前書いたとおりですが、ここでは改めてロシアの責任を問います。
ウクライナ侵攻までの経緯
まず、戦争とは突然始まるものではなく、開戦にいたるまでの複雑な過程があります。これはウクライナ侵攻も変わらず、2014年にウクライナで民衆が立ち上がり、親露政権が崩壊したところ、ロシアは強い危機感を抱きました。
ロシアの立場で考えると、隣国・ウクライナが親欧米政権になれば、EUとNATOの影響力がさらに伸びるわけです。
ソ連崩壊にともなって、東ドイツまであった勢力圏を失い、東・中欧諸国は続々とNATOに加盟しました。仮想敵である「西側」が東に進み、ついには隣国にまで到達した形です。
しかも、ウクライナは歴史的にも、民族的にもロシアに近く、モスクワ視点では「兄弟国」のような存在です(格下の子分だが)。
だからこそ、戦略的要衝のクリミアを併合しながら、ウクライナ東部に軍事介入を行い、NATOに加盟できないようにしました。
その後、ミンスク1・2の合意に基づいて、東部(ドンバス)では一旦停戦したものの、これは親露派勢力が短期間で破ります。停戦合意にもかかわらず、ロシアは親露派勢力を巧みに操り、戦力の回復後に再度攻撃を始めました。
そして、2022年2月には全面侵攻にふみ切り、ウクライナを自分の陣営に取り戻して、モスクワ視点の「安全圏」を確保しようとしました。ロシアに限らず、国家は国境の外側に別の線を引き、そこまでを緩衝地帯にしたがります。
山縣有朋の言葉を借りると、国境線を「主権線」、その外側の線を「利益線」と呼び、明治の日本では朝鮮半島が利益線(緩衝地帯)でした。ロシアも対NATOの観点で説明すると、ウクライナがベラルーシとともに利益線にあたり、どうしても確保しておきたい場所です。
前述の歴史的・文化的背景に加えて、このような地政学の要因も働き、ウクライナ問題を複雑にしてきました。
侵攻した時点でアウト
以上のような背景があるとはいえ、現代は軍事侵略した時点では「アウト」です。
ロシアにはロシアの言い分がありますが、いくら複雑な事情があれども、それは侵略の免罪符にはなりません。
それを言いだしたら、どんな侵略も正当化できてしまい、国際秩序が崩壊してしまいます。
かつて日本も中国に攻め込みましたが、その過程では多くの事案が起きており、出兵理由のひとつは日本人居留民の保護でした。だからと言って、日本の対中侵略は正当化できず、日本国内の歴史観はともかく、世界的には日本が悪者扱いです。
第二次世界大戦以降、世界は法の支配で秩序の再建・維持を試み、手を出した時点で「悪」という意識が定着しました。当然ながら、この基準はロシアにも適用されます。
もしロシアの侵略行為を見過ごす、あるいは許してしまった場合、中・長期的には既存秩序の崩壊につながり、被害者が泣き寝入りする世界に逆戻りです。それは弱肉強食の帝国主義時代に近く、弱小国は大国の恫喝に従うだけ、あるいは核武装するしかありません。
曲がりなりにもあった法の支配、戦後の国際秩序を踏みにじりながら、軍事侵攻という手段に訴えたロシアは「悪者」なのです。
そもそもロシアは努力したか?
そもそも、ウクライナを取り戻したいならば、それは恫喝による強制ではなく、自己改革で誘引せねばなりません。西側の自由と民主主義、生活水準に対して、自分たちでロシア世界の魅力をつくり、ロシア陣営に残りたいと思わせるべきでした。
政治改革と経済成長に取り組み、もっと文化というツールを使っていれば、旧ソ連圏には響いたでしょう。旧ソ連諸国である以上、ロシア語という共通言語で結ばれており、ロシアは文化面での盟主になれたはずです。
冷戦直後の時期を除くと、ロシアはそのような努力をしてきたか?
むしろ、政治・経済では寡頭化が進み、文化という平和的手段ではなく、結局は軍事力に頼ってきました。旧ソ連圏を惹きつけるための努力を怠り、西側に対抗できる魅力を生み出していません。
ネットではウクライナ侵攻に対して、以下のような例えが散見されますが、まさに的を得ています。
ウクライナはDV気質のあるロシアから離れて、西側(EU・NATO)という新しい彼氏候補を見つけます。しかし、ロシアは元カノのウクライナに未練タラタラであるうえ、無理やり暴力でヨリを戻そうとします。
魅力アップの自分磨きどころか、いまだ時代錯誤な亭主関白の気質が治らず、かつての仲間とは疎遠になるばかりです。もし本気に自己改革に力を注ぎ、文化などで惹きつけようとしていれば、少しは結果が変わっていたでしょう。
残念ながら、ロシアにこのような認識はなく、何でも西側の陰謀を疑う始末です。NATOの東方拡大も「陰謀」の一部ですが、忘れてはならない歴史的事実として、中・東欧諸国は自ら加盟を望みました。
彼らは冷戦期をソ連勢力圏の下、抑圧と監視の社会で過ごしており、西側と比べて経済で劣っていました。ここでもロシアは「魅力」を提示できず、解放後は一斉に西側に走り、NATO陣営に「避難」しました。
ロシア視点ではNATOの東方拡大ですが、中・東欧諸国にとっては「西方避難」に映り、結局はロシア自身がその遠因を作り出しました。
冷戦期の衛星国に対する抑圧にせよ、今回のウクライナ侵攻せよ、ロシアは加害者にもかかわらず、西側による陰謀の被害者を気取り、国内の極右愛国思想と共鳴してきました。
ウクライナ侵攻の場合、この被害妄想と愛国心、前述の歴史・民族観が合わさり、自分から攻め込んでおきながら、なぜか「祖国防衛戦争」と感じているそうです。ナポレオンのロシア遠征、ナチスドイツの侵攻に続き、ウクライナ侵攻を「第3の祖国戦争」として扱い、ロシア人の愛国心を呼び起こしています。
なぜ周辺国はロシアから離れたがるのか。少しは自身の行いを省みながら、自問自答すべきでしょう。
避けられない戦争責任
また、ロシアは国連安保理の常任理事国にもかかわらず、露骨すぎる軍事侵攻を行い、多くの戦争犯罪を引き起こしました。
進軍先の街と村は廃墟になり、都市部と民間人への空爆は続き、捕虜に対する拷問と処刑、子供の連れ去りも頻発しています。
ブチャ、マリウポリなどで分かるとおり、これらは組織的な戦争犯罪にあたり、とても現代国家の所業とは思えません。露見した行為は一部にすぎず、あの「ブチャの虐殺」をふまえると、被占領地域の実態はおぞましいでしょう。
では、誰の責任なのか?
直接的には現地のロシア軍ですが、最終的にはモスクワの指導部、戦争を始めた張本人です。これはプーチンの戦争であって、彼の独りよがりな決断と意志、歪んだ歴史観と思想に基づいて、現在進行形で行われています。
ただし、彼を大統領に選んだのはロシア国民です。
「公平公正」とはいえないものの、ロシア国民は選挙で彼を指導者に選び、長らく支持してきました。
この事実と照らし合わせると、ロシア国民にも一定の責任はあります。
むろん、同じ戦争責任であっても、国家指導者と国民ひとりは同じではなく、個人にできるのは賠償金の負担、過去の反省ぐらいです。
差し押さえられた在外資産に加えて、ロシア国民の血税もウクライナの戦後復興にあてるべきでしょう。日本とドイツも第二次世界大戦後、似た賠償責任を課せられており、加害者側は何かしらの償いをせねばなりません。
ここで問題になるのが、誇り高きロシア人が「自分たち=加害者側」という現実を受け入れるかどうか。
ロシアの心底にはかつての大国意識が潜み、独ソ戦で凄まじい損害を被りながら、なんとか「勝った」経験があります。
日本では悲惨な戦争体験が「敗戦」につながり、その結果として戦争行為を否定してきました。ところが、ロシアは壮絶すぎる戦争経験にもかかわらず、これは逆に「成功体験」になってしまいました。
大祖国戦争(独ソ戦)の神話に頼ると、「たとえ苦しくても、いずれは勝てる」という発想を生み、国民の忍耐力に拍車がかかってしまいます。
このような意識に加えて、ソ連崩壊後に転落したトラウマも残っています。しかも、ソ連はアメリカ率いる西側と戦わずに瓦解したため、冷戦に「負けた」という歴史的事実を受け入れられず、冷戦後の現状にも納得できていません。
その典型例がプーチンとはいえ、同じ意識は国民に多少なりとも存在します。
こういう空気では陰謀論が繁殖しやすく、ロシアの滅亡を企らむ西側の策謀、ウクライナのネオナチ化を本気で信じる者が多いです。
はっきり言ってしまえば、「本物の戦争」をせずに自滅したところ、その自意識を変にこじらせてしまったわけです。
それは第一次世界大戦の敗因が国内の政治的混乱にあって、軍事的敗北ではないと強がった戦間期のドイツに似ています(背後からのひと突き論)。
厄介なことに、こうした意識はセルフ治療が難しく、明らかな敗戦のような現実を突きつけるしかありません。
コメント