珍しかった?60式自走無反動砲の性能と役割とは 

60式自走無反動砲 陸上自衛隊
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106mm連装砲を搭載

戦後初の国産戦車といえば、2000年に引退した「61式戦車」ですが、一緒に対戦車戦を行う仲間として、60式自走無反動という兵器もありました。

61式戦車より1年早く登場したあと、なんと2008年まで現役で使われていました。

  • 基本性能:60式自走106mm無反動砲
重 量 8トン
全 長 4.3m
全 幅 2.23m
全 高 1.38m
乗 員 3名
速 度 時速45〜55km
行動距離 約140km
兵 装 106mm無反動砲×2
12.7mm機関銃(照準用)×1

60式自走無反動砲の開発は1954年に始まり、対戦車能力があるという意味では、じつは戦後初の装甲車両でした。

開発では三菱重工業と小松製作所が競い、4〜5種類の試作車両を検討したところ、最終的に後者が選定されました。ちなみに、三菱重工は同時期の61式戦車を担い、上手く住み分ける結果になりました。

2門の106mm無反動砲を持ち、低い車高で地形に隠れながら、敵戦車を待ち伏せする想定でした。いまでこそ陸自は充実した対戦車火力を誇り、多くの装備品を運用していますが、当時は携行型対戦車兵器が普及しておらず、現場は火力不足に悩んでいました。

こうした状況が60式自走無反動を生み、地の利を活かした待ち伏せ攻撃により、ソ連軍に打撃を与える手はずでした。そのため、車体はわずか1.38mの高さしかなく、砲塔部分だけを上に伸ばしつつ、最低限の曝露状態で射撃できます。

あまりの車高の低さから、見た目は旧日本軍の豆タンクに似ており、部隊内でも「マメタン」と呼ばれていたそうです。

60式自走無反動砲小柄な60式自走無反動砲(出典:陸上自衛隊)

攻撃時は命中率を高めるべく、12.7mm機関銃で試し撃ちを行い、曳光弾の弾跡で照準を合わせながら、すかさず無反動砲を撃ち込みます。

無反動砲の射程は約7,000mとはいえ、現代のような誘導タイプではないため、遠距離攻撃には向いていません。しかも、照準用の機銃は約1,000mにとどまり、これが実際の有効射程になります。

なお、あくまで待ち伏せ攻撃に特化した以上、防御力は最低限レベルに抑えられました。アルミ合金の車体は装甲がないに等しく、戦車との直接対峙はできません。106mm弾は命中さえすれば、当時のソ連戦車を撃破できたそうですが、発砲時は激しい爆風が飛び、すぐに敵に見つかってしまいます。

このような点をふまえると、わりと近距離での待ち伏せしかできず、成功するにせよ、失敗するにせよ、奇襲攻撃後はただちに離脱せねばなりません。計10発の弾薬を搭載しているものの、その場での再装填は不可能に近く、安全圏にて手動装填する仕組みです。

世界的に稀有な兵器

実際は使いどころが難しく、待ち伏せ攻撃にのみ通用する兵器ですが、不足していた対戦車火力を補うべく、1979年までに250両以上が生産されました。同じ60式自走無反動砲でも、A〜D型までの種類があって、少し車体を強化したり、エンジンが換装されています。

その多くは北海道で対ソ連の一翼を担い、携行型の対戦車兵器が普及するまで、現場の対戦車火力を支えました。

一方、自走無反動砲そのものは世界的に珍しく、アメリカの「M50オントス」を除けば、似た役割の装甲車両は見当たりません。可愛らしい見た目とは異なり、戦車を倒せる火力を持ち、命中弾を得る難しさはともかく、なかなかのパンチ力はありました。

退役から時間が経つとはいえ、250両以上もつくられたおかげか、各地の駐屯地に多く展示されており、意外にも見かける機会は多いです。

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