手薄なロシア領を制圧
2022年2月に始まったロシア=ウクライナ戦争は、ロシア側の誤算・失策とウクライナ側の粘りにより、当初の予想とは異なる長期戦になりました。
しかし、ここ1年ほどは双方とも決定打を欠き、第一次世界大戦のような塹壕戦が展開されました。ウクライナ東部においては、ロシア軍がジワジワと前進していますが、それは戦局全体をくつがえすものではなく、多すぎる損害に比して戦果は見合っていません。

こうした膠着状態のなか、ウクライナ軍は2024年8月にロシア領へ逆侵攻しました。
北東部に隣接するクルスク州を狙い、国境を簡単に突破したあと、わずか2週間で深さ20〜35km、幅50〜60kmの土地を制圧しました。面積でいえば、最大1,200㎢の広さにのぼり、ロシア軍が過去1年間で占領できた土地よりも大きいです。
ロシア側には国境警備隊や防衛部隊がいたはいえ、ウクライナが逆侵攻するとは思っておらず、完全に油断していました。そのため、あっという間に防衛線を突破されたあげく、100以上の集落がウクライナの手に落ちました。
ウクライナ軍は装甲戦力、歩兵、砲兵、特殊部隊、ドローン部隊などを使い、それぞれが緊密に連携しながら戦う、まさに諸兵科連合のあざやかな作戦でした。
しかも、それは2023年の反攻作戦の失敗をふまえたもので、あの時とは全く異なる戦いぶりを発揮しました。過去の教訓を生かしたり、改めて軌道修正できると示した形です。
その後、ロシア軍の反攻で次第に占領地を失い、2025年3月には包囲の危機を避けるべく、ほとんどの部隊を撤収させました。
ロシア側は奪還こそできたものの、自国領を取り戻すのに約7ヶ月以上かかり、プーチン大統領の「奪還期限」は毎回修正されてきました。しかも、その過程で北朝鮮兵に頼らねばならず、合わせて戦死者20,000人、負傷者23,000人という損害を出しています。
戦況地図(出典:ISW、筆者加工)
では、わざわざ逆侵攻した狙いは何だったのか?
当初は「緩衝地帯の確保」と説明されてましたが、これが主目的だったとは思えません。
もし緩衝地帯を求めるならば、今回侵攻したクルスク州ではなく、隣のベルゴロド州の方が効果的だったはずです。ベルゴロド方面に緩衝地帯をつくると、ウクライナ第2の都市・ハリキウを守りやすくなります。
一応、クルスク州の一部占領にともない、人口25万のスーミィは守りやすくなりました。ただ、普通はハリキウ(人口140万人)を優先したいはずです。
そうなると、ほかに戦略的目標がありそうですが、じつは専門家でもよくわかっておらず、さまざまな意見が飛び交いました。
今回はその目的について、筆者なりに考えてみました。
東部戦線の圧力緩和
まず、ひとつあげられるのが東部戦線への圧力軽減です。
ロシア軍は数と火力の優勢を持ち、それを生かしてゆっくりと進んできました。
一方、守るウクライナ側はその兵力差に苦しみ、敵に大きな損害を与えながらも、徐々に後退を余儀なくされています。
そこで手薄なロシア領を狙い、東部戦線のロシア軍を引きはがそうとしたわけです。実際のところ、2〜3万人がウクライナからロシア本国に移り、目的を少しは達成しました。
クルスク侵攻の様子(出典:ウクライナ軍)
しかし、この規模では戦局は好転させられず、ロシアも北朝鮮兵(1万人以上)を使う奇策に出ました。その間も東部戦線ではロシア軍の攻勢が止まらず、ポクロフスクという重要な町に迫りました。
一方、これを機にウクライナが失地回復を目指したり、その兵力を準備した様子もありません。
むしろ、陽動作戦にしては投入兵力が大きく、それなりの精鋭部隊がロシア領に侵攻しました。これら部隊は西側から供与された戦車や歩兵戦闘車を持ち、HIMARSやパトリオット・ミサイルのような希少兵器も前線付近に出ています。
そう考えると、この作戦は相当なリスクをともない、その貴重な戦力を東部戦線の増援に向かわせず、あえてロシア領に差し向けたのは別の理由がありそうです。
すなわち、ロシア軍を引きはがす狙いは多少あるものの、これも主目的ではなく、あくまで副産物だったように思われます。
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