どうなる?ロシア=ウクライナ戦争の行方について

ロシアとウクライナの国旗 外国
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失敗した斬首作戦・短期制圧

2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、プーチン大統領がもくろんだ短期的な電撃戦ではなく、2年以上にわたる長期消耗戦になりました。

本来の特別軍事作戦は首都・キーウをすばやく落として、ゼレンスキー政権を瓦解させる「斬首作戦」が狙いでした。その後は親露政権を樹立させるつもりだったようで、ロシア指導部は10日ほどで作戦目的を達成できると考えていた節があります。

ウクライナのゼレンスキー大統領首都に残ったゼレンスキー大統領ら

実際にはロシア軍の一部がキーウ近郊まで迫りながらも、ウクライナの反撃を受けて撤退に追い込まれました。

この過程でゼレンスキー大統領が逃亡せず、首都にとどまって抵抗を呼びかけたことも、ウクライナ側が持ちこたえた大きな要因でした。これはウクライナ側の士気をあげるとともに、国際社会による軍事支援へとつながりました。

もしアフガニスタンの大統領みたいに国外逃亡したり、首都脱出を図っていたら、キーウは陥落してロシアの傀儡政権ができていたでしょう。そういう意味では、このときゼレンスキー大統領ら政府首脳陣がSNSで発信した短い動画は、後世の歴史教科書に載るレベルです。

まさに戦時指導者に求められる役割を演じきったわけですが、このあたりは元コメディアン・役者としての才能に加えて、それを最大限発揮できる舞台をプーチン自身が提供しました。

改めてふりかえれば、ロシア軍の斬首作戦は、その稚拙さから完全失敗に終わりました。

最初からキーウに全力投入すればいいものを、ウクライナ側の能力・意志を過小評価したあげく、領土欲しさから各方面に戦力分散させます。その結果、南部以外はあまり制圧できず、作戦計画は破綻しました。

言いかえれば、ロシアの慢心・誤算とウクライナの粘り勝ちです。

膠着状態になった戦線

キーウ周辺からの撤退を強いられた時点で、ロシアがの望んだ電撃的勝利の可能性はなくなりました。その後、ウクライナ軍の善戦と2022年秋の反転攻勢を受けて、まともなロシア軍人たちは全面勝利も不可能と気付いたはずです。

一方、ウクライナ側による2023年の夏季攻勢も、ロシア軍の防衛線に阻まれて半年で20km弱しか進めず、目標であるアゾフ海には到達できていません。

破壊されたロシア戦車破壊されたロシア戦車の残骸(出典:ウクライナ軍)

反攻作戦の失敗でウクライナによる大逆転は難しくなるも、ロシア側の攻撃も少ない戦果と引き換えに損害だけが増えています。

これは地対空ミサイルが双方の航空優勢確保を防ぎ、地雷原や塹壕を中心とした防御陣地が「守る側」に有利なのが主な原因です。ここに観測ドローンを駆使した火力支援が加わり、ますます攻め手にとって不利になりました。

「ドローンを使った第一次世界大戦」と表現されるように、ロシア=ウクライナ戦争は塹壕を巡る攻防戦と最新技術を生かした砲兵戦になりましたが、それは地図上ではあまり変化のない停滞戦線を意味します。

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