戦時中の大敗北
日本は太平洋戦争で東南アジアの資源地帯を狙い、初期段階で制圧・確保することができましたが、戦争が進むにつれて、これら物資を運ぶ海上輸送に失敗しました。
これはアメリカの潜水艦や航空機が猛威をふるい、これに対処すべき日本の護衛能力が不足していたからです。
その結果、日本は2,500隻以上もの商船・輸送船を失い、開戦前には世界第3位を誇った商船隊はじつに88%という損害を受けました。ここに漁船や小型船舶を含めたら、その被害はなんと7,000隻近くになります。
それは約800万トン、6万人以上の船員にのぼり、死亡率だけでいえば、陸海軍の軍人を上回る43%という惨状でした(陸軍は23%、海軍は16%)。
この大きすぎる被害のうち、6割近くが潜水艦によるもので、日本側の対潜哨戒能力の低さが浮き彫りになりました。
一方、海軍も潜水艦被害と無関係ではなく、戦艦「金剛」や空母「翔鶴」「信濃」などを失い、多くの巡洋艦・駆逐艦が雷撃で海に消えました。陸軍についても、増援部隊が輸送船ごと沈み、海上で大量の遭難者を出しています。
結局のところ、日本は敵潜水艦に対して有効な手立てを打てず、最後は本土沿岸に出没されたあげく、浮上砲撃してくる始末でした。
こうした教訓、屈辱をふまえて、戦後の海上自衛隊は「対潜」を何よりも重視してきました。「二度とあのような悲劇を繰り返すまい」という決意に基づき、ひたすら対潜能力の向上に取り組みました。
また、冷戦期の日米同盟において、海自はアメリカ海軍の補助戦力という位置づけになり、とりわけ第7艦隊のつゆ払い役だったといえます。アメリカがその打撃力を心置きなく発揮できるよう、海自は対潜哨戒や掃海任務を行い、その環境を整えるというイメージです。
こうした経緯も対潜重視に拍車をかけ、ますます「潜水艦絶対殺すマン」と化していきました。
世界有数の対潜装備
では、そんな海自の対潜哨戒能力はどれほどなのか。
まず、装備面でいえば、海自は世界有数の哨戒機数を誇り、常に日本近海を監視できる体制にあります。
潜水艦は見つけるのが難しく、上空からの目視監視はもちろん、ソノブイ(使い捨てソナー)を投下したり、磁気探知機で捜索せねばなりません。そのためには哨戒機が欠かせず、アメリカを始めとする西側海軍では長らくP-3シリーズを使ってきました。
ところが、海自は日本周辺でしか活動しないにもかかわらず、100機以上のP-3Cを持ち、24時間体制に必要な機数を優に超えていました。
これはアメリカに次ぐ世界2位の保有数でしたが、アメリカは200機で世界中を担当するのに対して、日本は自国周辺だけでその半分を投入していたのです。
まさに狂気的な集中配備であって、一説には極東で活動する潜水艦の位置を全て把握していたとか。それはソ連の原子力潜水艦も含み、ソ連・太平洋艦隊の封じ込めに大きく貢献しました。
そこには潜水艦を絶対見つける、逃さないという強固な意志を感じます。
その姿勢は現在も変わらず、老朽化したP-3Cに代わって、国産のP-1哨戒機を調達している最中です。P-1は70機体制になるとはいえ、性能そのものが向上していることから、従来と同じ哨戒能力を維持します。
こうした固定翼機に加えて、護衛艦で使う哨戒ヘリも多数持ち、こちらは80機体制となっています。しかし、比較的早いペースで新型モデルを開発・調達しており、その運用体制はアメリカ海軍を除けば、世界随一のレベルです。
このヘリ部隊を集中運用すべく、わざわざ「ヘリ空母」まで4隻つくり、常に1隻は出動できるようにする徹底ぶりです。
以上のような戦力で潜水艦を発見、追いかけ回しながら、最後は殺傷能力の高い「成形炸薬弾(HEAT弾)」の対潜魚雷で撃破します。通常、HEAT弾は対装甲戦で戦車などに使い、損傷で浮上せざるを得ない潜水艦にとって、もはや過剰ともいえる破壊力です。
単なる撃破ではなく、海中で潜水艦の隔壁をぶち破り、完全撃沈まで追い込む意志が込められています。
まさしくオーバーキルですが、このあたりからも、敵潜水艦への憎悪が伝わります。
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