対化学戦の部隊?中央特殊武器防護隊の役割・装備とは

自衛隊の中央特殊武器防護隊 陸上自衛隊
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日本最大の対NBC部隊

第一次世界大戦で使用されて以降、軍隊は化学兵器への対処を急ぎ、いまもその課題は変わりません。NBC兵器(放射性物質・生物・化学)が存在する以上、それなりの対処能力を持たねばならず、現在は国家組織以外の集団も作れてしまい、対テロの観点でも重要です。

特に日本では地下鉄サリン事件という、世界初の大規模な化学テロが起こり、その経験から自衛隊も対NBC能力を重視しており、各地の師団・旅団に防護隊をあてがい、中央には大臣直轄の即応部隊を置きました。

後者は「中央特殊武器防護隊(中特防)」と呼び、今回はそこに焦点をあてながら、その役割や装備を解説します。

  • 基本情報:中央特殊武器防護隊
人 員 約300名
創 設 1956年(2008年に改変)
駐屯地 埼玉県・大宮駐屯地
担当範囲 日本全国(陸上総隊直轄)
戦 力 本部
本部中隊
第102特殊武器防護隊
第103特殊武器防護隊
装 備 除染車、散布車、NBC偵察車など

まず、自衛隊の化学部隊の歴史は古く、1956年には中特防の先祖にあたる部隊ができ、1970年には第101化学防護隊に拡張されました。

しかし、化学戦に対処するにもかかわらず、旧日本軍の化学部隊の印象からか、「化学兵器を造る、使う部隊」と勘違いされていました。この誤解は左派勢力が利用するなど、アンチ自衛隊の材料になってしまい、長らく部隊廃止を要求されました。

こうした逆風のなか、1995年に地下鉄サリン事件が起きたため、まともに対処できる専門部隊として出動します。その後、東海村臨界事故(1999年)でも除染作業を行い、マスコミと国民の注目を集めたところ、化学防護隊に対する理解が進み、前述の誤解がようやく解けました。

地下鉄サリン事件で除染する自衛隊地下鉄サリン事件での出動

その後、2008年には「中央特殊武器防護隊」に変わり、現在は陸上総隊直轄の即応部隊として、自衛隊最大の対NBC専門部隊になっています。ちなみに、2000年代から「化学」ではなく、「特殊武器」の名称を使うようになり、師団・旅団傘下の化学防護隊とともに、特殊武器防護隊に変更されました。

なぜなら、中特防の仕事は化学戦にとどまらず、NBC兵器全般にわたるからです。地下鉄サリン事件での出動実績からか、いまなお化学部隊の印象が強いものの、放射性物質と生物兵器も想定しています。

だからこそ、原子力災害にも白羽の矢が立ち、直近では福島第一原発に緊急出動しました。このとき、初の原子力災害派遣に従事しながら、放射水で冷却を試みており、前述の東海村の臨海事故に続き、放射性物質の対応にあたりました。

そんな中特防は大宮駐屯地にいますが、いざという時は日本全国に出向き、その地域の防護隊の増援にあたります。現地での偵察(調査)を通して、使用兵器を特定したり、汚染地域を除染するのが役目です。

この汚染地域の調査・除染に加えて、さらなる使用と被害を防ぐべく、NBC環境下での戦闘も想定せねばなりません。この場合、ガスマスクを着けて戦い、汚染状況下という地獄の戦場を経験します。

対NBCの装備・実績

さて、専門性の高い部隊であるゆえ、中特防は多くの特殊装備品を持ち、最新ガスマスクに加えて、除染車とNBC偵察車を配備しています。

また、自衛隊最大の対NBC戦の部隊として、化学科から優秀な隊員が集まり、いわゆる「エリート部隊」のひとつです。むろん、各方面の特防隊も高い技能を誇り、十分な対処能力があるとはいえ、中特防は他部隊の増援も担う以上、総合能力では上回ります。

自衛隊の中央特殊武器防護隊除染作業の様子(出典:陸上自衛隊)

なによりも、対NBC部隊としての経験値が高く、大規模な化学テロから原子力災害など、他に類を見ない実績を重ねてきました。都市部での化学テロという点に限れば、世界唯一の実戦経験を持っています。

このような事情から、自衛隊内でも配属の難易度が高く、なかなか希望通りにはいきません。そもそも、化学科自体が少人数のレア職種であって、本当に中特防になりたければ、まずは候補生時の希望調査で志願しましょう。

その年の空き枠によるため、運任せなのは否めないものの、いきなり中特防ではなく、師団・旅団傘下の防護隊になった場合、そこで数年間は経験を積み、中特防に異動願いを出す形です。

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