隠れ最強?陸自・富士教導団とは

陸上自衛隊
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富士学校の教育支援部隊として

陸上自衛隊で最も強い部隊と言えば、第1空挺団特殊作戦群を思い浮かべる人が多いですが、「隠れ最強」と評される部隊があります。それが静岡県に駐屯する富士教導団であり、富士学校の傘下として教育戦闘訓練を支援して同校学生の人材育成を目指す特別部隊です。

ここで少しややこしいのは「富士学校≠富士教導団」ということ。あくまで富士教導団は富士学校傘下の部隊なのです。

富士学校は陸上自衛隊の普通科(歩兵)、特科(砲兵)、機甲(戦車兵等)に関する教育訓練を行う部隊であり、幹部自衛官や陸曹に対して知識や技量向上を目的とした専門教育を行います。つまり、全国から選ばれた有望な陸曹や将来的に組織を引っ張る一部の幹部に対して行われるエリート教育を施す場なのです。

ちなみに、陸自の中でも特に過酷な訓練で有名なレンジャー隊員を教えるレンジャー教官になるためのコース(幹部レンジャー課程)も同校に存在します。ただでさえ厳しいレンジャー訓練ですが、それを教える、鍛える側を目指すとなれば、過酷さのレベルが数段階上がることは間違いないでしょう。

そして、このエリート教育を行う富士学校の戦闘訓練で学生幹部に指揮をさせる部隊を担ったり、敵役を演じるのが富士教導団であり、およそ3,000人の隊員と普通科、特科、機甲をそれぞれ担当する3つの教導隊で構成されています。大きな特徴としては、90式戦車89式装甲戦闘車が北海道以外の部隊として唯一配備されているうえ、16式機動戦闘車などの最新装備も教育教材として優先的に配備されます。

富士教導団に配備された16式機動戦闘車(出典:陸上自衛隊)

富士学校に入る学生は入隊して既に年数を経た幹部や陸曹ですが、部隊指揮に関してはあまり慣れていない者が多いので、戦闘訓練で主に部下役を演じる富士教導団は指揮官のぎこちなさや試行錯誤に適切に対応することが求められます。

例えば、訓練目的の一つに「誤った命令の教訓を実地に感じさせて、次回に向けて反省点を活かす」ことがあります。ここで問題となるのが「どこまでの判断ミスならば訓練中の事故なしで済むのか」という点であり、この感覚はかなりのベテランでなければ分かりません。

このように、富士教導団は部下役として指揮官の言うことをただ聞くのではなく、訓練の安全と教育効果の天秤を常に意識しながら、「監督者」としての難しい役割も求められるのです。

富士総合火力演習の「出演者」

このように富士学校の学生が訓練で動かす部隊を担う富士教導団ですが、もう一つ重大な任務があります。それが毎年行われる富士総合火力演習での出演部隊としての役割です。

同演習には島嶼防衛を想定した水陸機動団などの他部隊も参加しますが、メインの出演者は昔から富士教導団であり、このことだけで陸自最大の見せ場で主役を担えるだけ技量を持っていると言えます。

富士総合火力演習には一般国民はもちろんのこと、同盟国及び友好国、仮想敵国の駐在武官も見学にやって来ます。国民に陸自のことを理解してもらう広報の場であるとともに、外国に対して自分たちの力を見せつける場でもあるのです。

そのため、演習では失敗は当然許されず、確実な「腕」を持つ者のみが出演できます。そして、富士教導団が同演習のメインを常に担ってきた事実は、その要望に十分応えるだけの実力を持っている証であり、同教導団が最強と思われる理由のひとつでしょう。

富士教導団は有事では戦う?

ここでよく疑問に上がるのが富士教導団の有事における役割です。

既述のように、富士教導団はあくまで人材育成を目的とした高い技量を有する部隊ですが、実戦への直接参加は前提としていません。しかし、富士教導団が所属する富士学校自体が防衛大臣直轄であり、有事の際は旅団規模の戦力として投入できると言われています。

実際、富士教導団には教育教材として優先的に配備された戦車や火砲があるため、装備面は他部隊よりも充実しており、これらを操るのみならず、他者に教えられるほどの技量を持つ隊員も揃っています。ただ、あくまで人材育成を目的とした部隊なので、他の部隊のように後方支援も含めて単独で戦闘できる機能を有しているかは怪しく、3つの教導隊がどれだけ連携できるかも疑問でしょう。

富士教導団の普通科教導隊(出典:陸上自衛隊)

確かに人数的には旅団規模であり、重装備も揃っていますが、実際の旅団並みの戦力は発揮できないと思われます。あくまで各教導隊が余所の部隊による後方支援を受けつつ、予備戦力や他部隊への緊急増援、局所的な反撃戦力として投入するのが限界ではないでしょうか。

そもそも、人材育成を担う部隊を戦線に投入せざるを得ない戦況はもはや絶望的であり、そこで富士教導団を投入しても戦局を好転させられるとは思えません。歴史を顧みても、軍隊の教育部隊を投入して良い結果を得たケースは少なく、大抵は戦争末期の焼け石に水的な試みの表れでした。

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