現役で活躍中?「M101」105mm榴弾砲の射程、貫通力

アメリカ
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M2A1とも呼ぶ

ロシア=ウクライナ戦争の砲兵戦において、榴弾砲が戦場の女神として活躍するなか、1941年に登場した「M101」が再び姿を現しました。

これはアメリカが「M2A1」とも呼び、第二次世界大戦から朝鮮戦争、ベトナム戦争まで使いながら、計10,000門以上が生産された傑作火砲です。

  • 基本性能:「M101」105mm榴弾砲
重 量 約2.5t
全 長 5.94m
全 幅 2.21m
口 径 105mm
要 員 5名
射 程 最大12km〜14km
射撃速度 毎分10発(最大)
仰俯角 仰角:65度
俯角:-5度
価 格 約8,000万円(1941年時)

M101(M2A1)の本格開発は1930年代に始まり、1941年にアメリカ軍で採用されて以降、世界中の戦場で活躍してきました。

約12kmの有効射程を持ち、よく訓練されたクルーであれば、毎分10発の射撃速度を期待できます。ただし、砲身の加熱をふまえると、この射撃頻度は維持できず、毎分3発が現実的なレートでしょう。

この射撃の持続性に加えて、精度もクルーの力量で異なり、照準から計算、装填まで全てマニュアル方式です。

炸薬の種類は7つにもおよび、高性能爆薬を使う通常弾に加えて、対戦車の成形炸薬弾、歩兵支援用の煙幕弾などを撃ち込めます。その威力は軽視できず、半径30mの範囲で致命傷を与えるほか、実験では約1kmの距離で放っても、厚さ4mのコンクリートを貫き、180mmの装甲さえ貫通しました。

また、重さ2.5トンの火砲は車両でけん引すれば、険しい山岳地帯にも展開できるため、イタリア戦線や朝鮮戦争では頼りになりました。

全体的に考えると、火力支援用としては使い勝手がよく、戦場では緊急支援を行いながら、味方部隊を救ってきました。

陸上自衛隊は礼砲に使う

そんなM101は第二次世界大戦の終結にともない、今度はアメリカ国内で一気に余り、結果的に多数が国外に輸出されました。使用国は70カ国上にのぼり、自走砲タイプや現地改良型など、多くの派生型が生まれています。

輸出先には日本も含まれており、陸上自衛隊では供与兵器として受け取り、一部は「58式105mm榴弾砲」という名称の下、日本人の体格に合わせて独自生産されました。

しかし、これは少数生産で終わり、残りはFH-70榴弾砲、あるいは75式自走砲に座を譲り、ようやく2000年に退役しました。

礼砲を放つM2A1(出典:アメリカ軍)

さはさりながら、全てがお役御免になったわけではなく、儀礼の一環で礼砲(空砲)を放つべく、現在も少数が保管されています。直近の例をあげると、2019年の即位の礼では臨時中隊を組み、M101を倉庫から引っ張り出しました。

ほかにも、アメリカでは礼砲に使うとともに、雪崩対策として雪山に撃ち込み、事前に人工的な雪崩を引き起こしています。

ウクライナは実戦投入

もちろん、いまだ実戦配備している国も多く、旧式の火砲にもかかわらず、丈夫で頼りになると評価されています。

ロシアのウクライナ侵攻を受けて、20門以上がウクライナの手にわたり、砲兵の火力不足を支えてきました。老朽化しているものの、最低限の火力支援には役立ち、アナログならではの信頼性があるそうです。

ウクライナでは現役

兵器に限らず、アナログの方が頑丈であるうえ、問題点が洗い出されている分、いざという時の信頼性で勝る場合があります。B-52爆撃機、M2重機関銃などが有名な例ですが、どうやらM101もその部類に入るようです。

最前線では撃ち合いが続き、ロシア側との火力差が埋まらない以上、「無いよりはマシ」なのは変わりません。陳腐化したといえども、西側からもらった他の榴弾砲、旧ソ連製の火砲と組み合わせながら、砲兵戦力の一角を占めています。

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