果たして変われるか
深刻化する状況を受けて、防衛省も対策は講じているものの、募集年齢の上限を26歳から32歳に引き上げるなど、その場しのぎ感が強く、長期的な隊員確保は難しいでしょう。
もはや人口減少を前提とした組織作りをせねばならず、まずは給料・待遇の改善から取り組み、できる限りよい人材を集めねばなりません。そして、十分な訓練や装備を確保しながら、能力を発揮できるプロフェッショナルを作り、彼らが辞めないような環境づくりをすべきです。
以上は「当たり前」な話ですが、保守的な職場ではなかなか難しく、革新的ともいえる発想転換が求められています。
この問題に鋭い意見を持つ者も多く、組織の中核を担うべき幹部自衛官にはも多数います。
しかし、頭では理解していながらも、組織文化のせいで実行が難しく、提起しても「上」が受理だけして終わる可能性が高いです。それよりも、集まって課題を議論したという「プロセス」の方が評価される傾向すらあります。
そうなると、本来の「こうあるべき論」ではなく、現状の枠組みの中でどう回すかというその場しのぎの思考が強まるだけです。
加えて、幹部自衛官は2年ごとに異動するため、そもそも改革を実行しづらく、その成果を見ずに転出します。次に来た人物が改革を引き継ぐは限らず、多くの場合はリセットされたり、逆戻りしたり、全く違う路線になります。
幹部は組織を変える立場にありながら、じっくり腰を据えて改革に取り組める環境がありません。
これが部隊のトップともなれば、1年目からメスを入れやすくはなりますが、今度はそれまで築き上げた立場を失う恐れから、大きなリスクを取りたがりません。人間というのは、階級や立場が上がるにつれて、余計にキャリアに傷をつくのを避けたがります。
そのため、将来有望なエリートよりも、定年前の最終ポストでやってきた人の方が、思い切った施策をとったり、柔軟性を発揮しやすいわけです。
このあたりは防衛省に限らず、民間企業も含めた「組織論」の話になりますが、国防という民間では代替できない仕事を担う以上、自衛隊自身が変わるしかありません。
国・社会全体の意識改革も
最後に国家、社会の責任について。
自衛隊は「安全保障」という誰もが享受する利益を提供しています。軍事組織とはいえ、全国民の生命・生活に直結する公共財ともいえるわけです。
だからこそ、彼らに最低限の敬意を払い、感謝の気持ちを持たねばなりません。
全ての自衛官は下記の宣誓をして入隊します。
「ことに臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。」
文字どおり、有事では命をかけて戦い、国民を守るという約束です。
命をかけて戦う関係から、軍人は名誉を重んじる傾向が強く、程度の差はあれども、日本の自衛隊も同じです。
米軍がアメリカの人口に占める比率は「3%」ですが、その少数による国家への貢献に対して、社会全体が敬意や感謝の気持ちを表してきました。田舎や都市部を問わず、国として退役軍人への理解があり、旅行割引のような優遇制度も多く存在します。
自衛官の献身に報いるには、国が制度的な恩恵を増やして、社会もリスペクトする。後者は国民一人ひとりの問題ですが、別に平身平頭しながら敬えというわけではありません。
単に「いつもありがとう」という気持ちを向けて、自衛隊の活動に理解を示すだけでよいのです。
残念ながら、日本ではこれが当たり前ではなく、自衛官が制服着て歩くだけで抗議されてしまいます。
もし民間より福利厚生で劣り、自分だちを理解してくれない社会だったら。
あえて自衛隊に入り、国や社会のために命をかける若者は減るだけでしょう。
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