地理的環境を考える
ロシア=ウクライナ戦争の勃発により、欧州各国は徴兵制の復活に向けて動き、北欧とバルト三国のみならず、ドイツやポーランドなどの主要国も検討中です。
日本でも安全保障環境の悪化、深刻な少子化と人手不足を受けて、徴兵制を不安視する意見が散見されます。
防衛力強化が急務とはいえ、実際に日本で徴兵制はあり得るのか?
そもそも、必要なのでしょうか?
まず、必要性の観点で述べると、いまのところは必要ありません。
四方を海に囲まれている以上、敵は海を越えて侵攻せねばならず、そのハードルは我々の想像より高いものです。相手の海上・航空部隊を突破して、侵攻部隊を揚陸するのが難しく、地続きの侵攻と比べて、一気に難易度がハネ上がります。
仮に上陸できたとしても、絶えず大量の補給物資を飲み込み、圧倒的な海上輸送力、兵站能力が欠かせません。これは兵站上は悪夢でしかなく、こんな芸当をできるのは、現時点ではアメリカぐらいです。
海を越えての侵攻、補給戦というのは、それほど難しい課題なのです。
それゆえ、日本で大規模な地上戦は起こりづらく、必然的に海・空域が主戦場になります。陸上戦闘とは違い、海・空の戦いは専門性が高く、短期間で一人前にはなれません。
むろん、地上戦も戦車や火砲の運用など、一部は専門的な技能がいるとはいえ、海・空での戦いに比べると、新兵の早期戦力化が見込めます。誤解を恐れずに言うと、集団行動と小銃の射撃、最低限の陣地構築ができれば、一応は「歩兵」として役立ち、水兵と航空兵よりは比較的育成しやすいです。
ひるがえって、軍艦と航空機の運用はそうはいかず、技能の習得に最低1〜2年はかかり、プロフェッショナルな職種になります。
組織や戦闘環境の違いも関わり、地上戦ではひとりの歩兵でも「戦力」になり、陸軍もそのように扱ってきました。これに対して、海・空軍は全体を動かす「部品」のひとつという感じです。必須な部品であるがゆえ、それは正確に機能せねばならず、高い専門性が求められます。
このような専門職に対して、多くの新人を送りつけても、とても短期間で大量育成はできず、ようやく戦力化できたと思いきや、もう兵役が終わって除隊します。
徴兵期間が5年とかならば、また話は変わってきますが、社会に与える悪影響を考えると、貴重な若年層を長期間は拘束できません。兵役というのは、黄金の20代を国家に捧げながら、その間は一般社会に寄与できない仕組みです。徴兵された人数分だけ、一般社会の働き手が減ってしまい、国家経済と社会システムに損失を与えます。
だからこそ、どこもせいぜい2〜3年に絞り、これが社会とのバランスを考慮した限界でしょう。再び大陸進出に挑み、広大な土地で地上戦をしない限り、現在の地理的環境では必要性は薄く、逆に社会の足かせになるだけです。
ここで近隣諸国の例を見ると、同じ少子化の韓国は徴兵制を敷き、島国の台湾も兵役を復活させました。しかし、どちらも仮想敵国と直接対峙しており、日本とは脅威の近さ、切迫の度合いが違います。
韓国は地続きで120万の敵と向かい合い、約70年も緊張状態を維持してきました。台湾も中国軍の来襲を確定演出のように扱い、その切迫感は日本とは比べ物になりません。
台湾は中国との間に海峡こそあれども、その幅は最も狭い部分で約135kmです。台湾海峡の渡洋でさえ難しいのに、南西諸島と日本本土を狙うとなると、その難易度は段違いに上がります。
ちなみに、北海道の宗谷海峡は幅40kmですが、いまのロシアに対日侵攻の余力などなく、もともと揚陸能力が全く足りていません。
日米同盟があれば不要
さらに、日本はアメリカと同盟を結び、その強大な軍事力を前提にしながら、防衛計画を立ててきました。なんとか自衛隊が時間を稼ぎ、アメリカからの増援を待ち、最後は米軍とともに反撃する構想です。
ウクライナ、台湾とは違って、アメリカの直接介入を期待できるほか、その軍事的優位性をアテにできます。
以上の点をふまえると、日米同盟さえ維持・機能していれば、あえて徴兵制を導入する必要はありません。むしろ、玉石混交のリスクを増やしながら、下手に「数」をそろえるのではなく、自衛官の待遇改善に力を注ぎ、現有戦力の維持を優先すべきです。
逆に日米同盟がなくなった場合、安全保障の前提条件・基盤がひっくり返り、少なくとも兵役を「検討」する可能性は高まります。中国と軍事同盟でも結ばない限り、自衛隊を2倍以上の規模に増やす、あるいは予備兵力を確保せねばなりません。
地理的優位性は不変ながらも、敵の本土侵攻を許してしまい、ウクライナのような持久戦になったら、米軍なしでは長くは持たず、国土奪還の見込みが立ちません。
そうなると、ある程度は「数」で対抗する事態に陥り、ウクライナのように動員をかける、徴兵制を敷くことになるでしょう。
組織構成的には可能
ここで自衛隊の組織構成をみると、じつは徴兵制を意識した節があります。自衛隊は諸外国の軍隊と比べて、幹部と中堅(曹)の比率が高く、それぞれ全体の20%、60%を占めています。
逆にいわゆる「兵士」が異常に少なく、全体の20%以下しかいません。通常の軍隊は兵士クラスが1/3以上、多い国だと半数近いところ、自衛隊は中堅・幹部が大半を占めてきました。
一般企業で例えると、現場を担う平社員が2割以下にもかかわらず、管理職と係長・主任級が8割近くいる感じです。たしかに、士クラスは契約社員、曹クラスは正社員になるため、どうしても後者に人が集まります。
それでも、自衛隊が頭でっかちな組織なのは否めず、平時は「士」を少なめにしておき、中核部分(幹部・曹)を多めにそろえながら、短期間で一気に拡張できる構造です。
これは「クリュンパー・システム」と呼び、有事での徴兵と戦力確保を考えて、大勢の新兵を問題なく鍛えるべく、普段は中堅・中核層を重視するものです。
歴史をふりかえると、ドイツは第一次世界大戦に敗れたあと、陸軍を10万人に制限されたため、このシステムを取り入れました。その結果、兵士には下士官(曹)並み、下士官には幹部相当の教育を行い、急速に拡張できるようにしました。
時が満ちると、彼らを一斉に昇格させて、徴兵した大量の新人を鍛えながら、数年で大兵力を整えました。
憲法違反ではない?
ところで、徴兵制は憲法違反にならないのでしょうか?
抵触するとすれば、第13条と第18条ですが、それぞれの条文は以下のとおりです。
第13条:すべて国民は,個人として尊重される。 生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については, 公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。
第18条:何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。 また、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第13条で国民の権利の尊重、第18条で奴隷的拘束・苦役からの自由、と書いてあるものの、実際は解釈次第で徴兵制は可能と思われます。
第13条は「公共の福祉に反しない限り」とあるように、いろいろ解釈の余地を残しています。どうしても国防に必要となれば、徴兵は公共の福祉に当てはまり、その法解釈は憲法9条と自衛隊の関係性よりも、わりと整合性がとれているといえます。
一方、第18条の「奴隷的拘束・苦役」についても、これは苦役の定義によりますが、国際条約上は兵役は対象外であって、意外にも苦役には該当しません。
国際人権規約を読むと、兵役は強制労働(苦役)に含まず、対象外になっています。国際条約が苦役の対象外として扱い、憲法上も明確に禁じていない以上、法解釈の問題はクリアできるでしょう。
ただし、徴兵制度を導入する場合、新たな法律を制定せねばならず、その政治的ハードルが高すぎます。国民と野党から大反発を食らい、その反対運動の規模・勢いたるや、2015年の安保法制どころではありません。
たとえ法案を通せても、その政権は政治力を使い切り、与党は次の選挙で確実に惨敗します。また、施行と運用段階で違う壁に当たり、兵役逃れと根強い反対、社会不安に直面せざるをえません。
したがって、憲法上の解釈は変更可能とはいえ、肝心の法案が可決・施行できず、政治的リスクが高すぎます。

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