広島サミットの意義
さて、岸田外交の目玉といえば、やはりG7広島サミットがあげられます。
ここでの意義は大きく3つあります。
「戦後」の終結をアピール
まずは、「戦後」を完全に終わらせたこと。
広島で開く以上、平和記念公園と原爆資料館への訪問は外せません。
当事者の日米両国に加えて、かつての連合国・枢軸国がそろって献花・祈念する様子は隔世の感を与えました。それは、まさに過去を乗り越えた姿であって、現在の苦難と未来に立ち向かうものでした。
かつて、故・安倍首相はオバマ大統領を広島に招き、自身は真珠湾を訪れて日米間の「戦後」を終わらせました。そして、広島サミットでは、ヨーロッパも含むG7全員で戦後にピリオドを打ち、過去に区切りをつけたというメッセージを発信した形です。
前述の日中両国の対比と同じく、原爆ドームを背景にG7首脳陣が並ぶ姿は歴史的意義を持ち、そのイメージ(写真)が放つ効果・影響力は計り知れません。
G7全員で「戦後」を終わらせた(出典:首相官邸)
また、同じく招いた韓国大統領とともに、原爆で亡くなった韓国人慰霊碑に献花を行い、日韓両国の和解を演出しました。ユン政権の誕生という幸運も重なり、岸田政権下では韓国との関係改善が進み、歴史問題では以前のような中韓の連携はなくなりました。
こうして欧米諸国と戦後を終わらせつつ、韓国とも一定の和解を行ったところ、80年前にとらわれているのは中国、北朝鮮、ロシアぐらいになりました。
このうち、北朝鮮はそこまで歴史問題に熱を入れておらず、ロシアはもっぱら欧州向け(ナチス・ドイツを倒した自負)である点を考えると、対日関係では中国だけが残る感じです。
「歴史カードで現在をごまかそうとするのは、もはや中国ぐらいだ」と宣言できたようなものですが、これだけでも、広島サミットは外交的には大成功でしょう。
核兵器の恐ろしさを認識
2つ目の意義は、核兵器の恐ろしさをある程度は認識させた点。
原爆資料館を訪問したG7首脳陣のうち、アメリカ、イギリス、フランスは核保有国です。さらに、ほかの招待国も別に訪問しており、その中には事実上の核保有国であるインドが含まれています。
原爆投下後の悲惨な状況を見れば、彼らが持つ兵器の恐ろしさをいくばくは感じられるでしょう。
核保有国・大国の指導者である以上、その認識は簡単には変えられず、現状では核兵器廃絶は叶えられない理想にすぎません。それでも、彼らも指導者である前にひとりの人間であり、同じ人間が核攻撃で受ける被害を見て、何も思わないはずはありません。
政策の変更や核軍縮にはつながらずとも、ボタンを押すときに原爆資料館で見た写真が少しでも頭をよぎれば、思いとどまる可能性は生まれます。「百聞は一見にしかず」とよく言いますが、原爆資料館の訪問についても同じです。
原爆資料館での記帳(出典:首相官邸)
それほど重要な訪問だったわけですが、実際にG7首脳たちが訪れたの本館ではなく、その横にある東館でした。というのも、本館の方が生々しい展示が多く、アメリカ側が難色を示したからです。
そこで、岸田首相はアメリカの要望を受け入れつつも、本館の展示物を東館に移動させる奇策に出ます。こうしてG7に核がもたらす惨禍を見てもらい、ブラジルやインドネシア、インド、オーストラリア、韓国、ウクライナなども別日に訪れました。
他の招待国も訪問・献花(出典:首相官邸)
これら影響力ある国々が、原爆資料館で記帳を行い、平和公園で献花する。
それは核で恫喝している北朝鮮、ロシアに対して、その愚かさを非難する強烈なメッセージにもなりました。
ウクライナを参加させた功績
そして、広島サミットにはウクライナのゼレンスキー大統領を招き、世界的な注目を集めるとともに、日本の議長国としての手腕を示しました。
オンライン参加ではここまでのインパクトはなく、フランス軍用機でやってきたとはいえ、警護リスクの高い本人の参加に踏み切ったのは日本の功績でしょう。
日本の自由主義への関与、貢献的な姿勢を改めてアピールしたうえ、ウクライナが各国と直接会える機会をつくりました。
西側からの軍事支援に頼る以上、ウクライナにとって各国との会談はいくらあっても足りません。実際に広島でのアメリカ・ウクライナ会談において、バイデン大統領はウクライナが待ちわびるF-16戦闘機の供与を発表しています。
広島サミットはこれらG7との会談に加えて、ウクライナがそれまで会えなかった国々とようやく話すチャンスになりました。たとえば、韓国やインド、インドネシアとの会談は広島で初めて行っています。
特に優れた陸上兵器を持つ韓国、ロシアとの関係が深いインドと会えたのは、ウクライナにとって大きな外交成果でした。しかも、拡大セッションではウクライナの席を韓国とインドの間に置き、彼らとさらなる会話ができるようにしています。
このような外交の場を日本が提供することで、侵略の被害者に寄り添いながら、より多くの支援を受けられる環境を整えました。
日本では「対話による解決」「外交を通した平和」を叫ぶ声がよく聞かれます。
G7広島サミットは、まさにこうした外交を体現したわけですが、そうした主張をしていた者ほど、その成果を認識せず、むしろ批判する不思議な傾向がみられました。
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