過去の太平洋同盟構想
石破首相の就任にともない、彼が提唱する「アジア版NATO」が注目されました。
NATOとは欧米32カ国による軍事同盟、集団防衛体制を指しており、似た同盟機構をインド太平洋にも創ろうという考えです。
その発想自体は悪くないとはいえ、じつは過去に同じ構想がありました。
それは戦後まもない1949年のことで、フィリピンが反共産主義の同盟として提唱しました。これに中華民国の蒋介石(台湾に逃亡中)、韓国の李承晩が賛同したものの、その本気度には疑問がつきました。
一方、同時期にアメリカも似た発案をしましたが、独立回復後の日本を加えるつもりだったため、まだ対日警戒が残るフィリピン、オーストラリア、ニュージーランド、韓国が反対しました。
いまでは考えられませんが、特に豪比両国の反対はすさまじく、日本を将来の仮想敵として認識していました。
そんな国々が日本と組めるはずがなく、戦略的価値・地政学的な観点をふまえれば、日本抜きの太平洋同盟はありえません。
「集団同盟で日本の軍事台頭を防ぐ」という説得もむなしく、アジア太平洋はアメリカが各国と同盟を結ぶ「ハブ・アンド・スポーク体制」になりました。
対するヨーロッパも対独感情が悪かったものの、冷戦の最前線として対ソ連を優先せざるをえず、あえてドイツを入れる方針にしました。
有名なフレーズを引用すると、「アメリカを引き込み、ロシア(ソ連)を締め出し、ドイツを抑え込む」に成功したわけです。
まずは日本が変わる必要
アジア版NATOは一度とん挫したとはいえ、当時と現在では状況が全く異なります。
オーストラリア、フィリピンから対日強硬派は消え去り、いまや日本と準同盟関係にあるほか、あの韓国も対日協力に身を入れ始めました。
これは対北朝鮮、対中国を意識したものですが、アジア版NATOができるとすれば、この2カ国+ロシアが仮想敵になるでしょう。なぜならば、同盟や集団防衛は「外部の敵」を前提にせねばならず、仮想敵なしの同盟は成り立ちません。
対日感情の変化、中国の台頭という変化をふまえると、今度こそアジア版NATOを創れそうに思えます。
でも、それには日本が変わらなければなりません。
そもそも、NATOは集団的自衛権に基づく同盟ですが、日本は集団的自衛権を全面的には行使できず、いろいろ条件や制約が付きまといます。
仮に提唱するならば、まずは日本自身が変わらねばならず、相互防衛できる態勢が求められます。フルスペックの集団的自衛権を意味しますが、現行の安保法制と法解釈では足りません。
2015年の安保法制でさえ、安倍政権は世論の反発を受けながら、大きな政治的リソースを使い、その支持率は10%以上も低下しました。それ以上の法改正となれば、再び大きな論争が巻き起こり、法案を通すだけで政権の力を使い果たすでしょう。
戦後日本では「必要最小限論」「巻き込まれる論」が強く、自国の防衛以外に関わる軍事活動を忌避してきました。ここ30年で意識は変わったとはいえ、多国間同盟に必要な相互防衛レベルには達していません。
アジア版NATOと簡単に言えども、それは緩やかな互助会ではなく、血を流す覚悟のいる軍事同盟です。韓国やフィリピンが攻撃されたら、自衛隊を出して助けることを意味します。
日本にそのような覚悟があって、なおかつ国民の同意を得られるのか。
国内ではアジア版NATOが日本の防衛に役立ち、対米依存を少し減らせるという意見が多いです。しかしながら、ここには日本が相互防衛の義務を負い、他のアジア諸国を助ける視点が抜けています。
しかも、欧州地域とは違って、アジアは紛争・領土問題を抱える国が多く、

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