戦後初の国産自走砲
現代地上戦では撃ってはすぐ逃げられる火砲、すなわち自走砲が欠かせず、その重要性はロシア=ウクライナ戦争で改めて証明されました。
これは島国・日本でも変わらず、陸上自衛隊は対ソ連に備えていた関係から、北海道を中心に自走砲部隊をそろえてきました。現在は「99式155mm自走砲」、トラック型の「19式装輪自走砲」を使うなか、戦後初の国産自走砲でありながら、わずか20両しか生産されなかったものがあります。
それが、あまり知られていない「74式自走105mm榴弾砲」でした。
- 基本性能:74式自走105mm榴弾砲
重 量 | 16.5t |
全 長 | 5.78m |
全 幅 | 2.87m |
全 高 | 3.2m |
乗 員 | 4名 |
速 度 | 時速50km ※水上航行時は時速6km |
行動距離 | 約300km |
兵 装 | 105mm榴弾砲×1 12.7mm機関銃×1 |
けん引タイプの105mm榴弾砲を更新すべく、74式自走砲の研究・開発は1960年代に始まり、1970年には試作車両が完成しました。
ところで、先ほど戦後初の国産自走砲と説明しましたが、これは厳密には「量産品としては」になります。というのも、実際には「56式105mm自走砲」というのが1957年に作られました。
しかしながら、これは数度にわたる性能試験に落ち、最終的には計画が中止されました。よって、正式採用されたという意味では、74式が戦後初の国産自走砲になります。
その74式自走砲は開発コストの抑制、整備の効率化を図るべく、パーツの一部をいまだ現役の73式装甲車から流用しました。
また、全体的にはアルミ合金を使い、専用のキットを装着すれば、水上航行しながら河川を渡れました(準備は大変だが)。このあたりも73式装甲車と似ていますが、74式戦車などに随伴しながら、一緒に戦うことを目指したからです。
74式自走砲の展示車両(出典:陸上自衛隊)
現在の自走砲と比べれば、74式の車体は小さい印象を受けますが、その車内には4名の操作要員に加えて、43発分の弾薬を載せられました。
最も気になる105mm砲は14.5kmの射程を持ち、性能上は毎分10発も射撃できました。ただ、自動装填装置は搭載されておらず、射撃準備を全て人力に頼る以上、発射速度は次第に低下したり、隊員のコンディションにかなり左右されがちです。
しかも、射撃距離によって装薬の種類が変わり、火薬成分が異なる1から9号までの計9種類もありました。少なくとも、手順がひと通り自動化された現代からすれば、その苦労が一層きわ立ちます。
それでも、56式での失敗を乗り越えて、戦後初の国産自走砲となった意義は大きく、性能面でも特筆すべき欠点はありませんでした。
105mm砲ではもの足りず
では、なぜそんな自走砲がたった20両しか生産されなかったのか。
じつは74式自走砲が登場したとき、すでに世界は大口径の「155mm砲」に移行していました。つまり、配備時にはもう時代遅れになりつつあって、その威力不足が問題視されたわけです。
105mm砲自体は発射速度が速く、155mm砲よりも小回りが効くなど、それなりの利点はあります。しかし、最前線では火力が物を言う以上、155mm砲の方が好まれるのは仕方なく、他国に遅れをとってもいけません。
この傾向は陸自も早くから認識していたらしく、じつは74式自走砲と同時期に「75式自走155mm榴弾砲」を開発していました。
その結果、105mm・155mm砲を混在させるよりは、時代の流れに沿った後者(75式)に統一することになりました。
こうして74式自走砲はいきなり旧式扱いになり、北海道の第4特科群にわずか1個大隊分、20両が配備されました。その後は四半世紀にわたって使い、2000年3月には現場から退きました。
その多くは各地の駐屯地で展示されていますが、北海道に集中配備されていた現役時代よりも、現在の方が見かけやすいありさまです。
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