どうなる?ロシア=ウクライナ戦争の行方について

ロシアとウクライナの国旗 外国
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休戦と現状の凍結化

双方とも決め手を欠いたまま時間だけが過ぎるなか、膠着事態を打開できる展望はいまのところありません。

ウクライナが期待するF-16戦闘機が到着しても、それが圧倒的優位性につながるとは思えず、よほどのことがない限りは停滞が続きます。アメリカみたいに敵陣をことごとく空爆できるなら別ですが、こうした手厚い航空支援能力はロシアにもウクライナにもみられません。

すなわち、どちらかが決定的勝利を収める可能性は低く、最終的には停戦・休戦協議に向けた機運が高まるでしょう。ただし、それは朝鮮戦争と同じ「休戦」であって、現状のままでは正式な終戦は望めません。

なぜならば、ロシアもウクライナも、終戦を実現できるほどの政治状況にないからです。

10万近い兵士と3,000以上の戦車を失ったロシアがいまの戦果で満足できるはずがなく、失地回復を目指すウクライナも現状の固定化は選べません。

厭戦気分の高まりで停戦・休戦協議まで持っていけるかもしれませんが、その先に待っているのは停戦ラインをはさんだ分断国家です。そして、それは朝鮮半島のような軍事境界線と緊張感の常態化をもたらし、「戦争再開」に向けた戦力回復期間にすぎません。

ともかく、この停戦ラインを少しでも自分たちに有利にすべく、引き続き攻防戦が繰り広げられるはずです。

ロシアの戦争責任について

和平の展望がほとんど見出せないなか、ロシア国内で政治的変化が起きれば、事態は打開できるとされています。

言いかえれば、プーチン体制の崩壊を期待しているわけですが、これはいささか甘い見通しと言わざるをえません。

たしかに、この戦争の責任は言うまでもなくプーチン大統領にあって、彼の意志や歴史観、強硬姿勢に基づいて戦争は始められました。

しかし、透明性に欠けた選挙とはいえ、彼を20年以上も選び続けているのはロシア国民です。

いまも積極的に支持する人は多く、たとえプーチン大統領が倒れても、プーチン路線を継承する者がその座に就くでしょう。そして、ロシア国民の大多数は引き続きそれを受け入れると思われます。

こうした点をふまえると、今回の戦争ではロシア国民にも一定の責任はあります。

もちろん、国家指導者の戦争犯罪と国民ひとりの責任は同じではなく、個人にできるのは戦後賠償金の負担、そして過去の反省ぐらいです。

差し押さえられたロシアの在外資産に加えて、ロシア国民の一部血税もウクライナの復興に当然あてるべきです。これは第二次世界大戦後に日本とドイツに課せられたのと同じで、加害者側は何かしらの償いをせねばなりません。

ところが、誇り高きロシア国民が「自分たち=加害者側」という現実を受け入れるとは思えません。

ロシア国民の心底にはかつての大国意識が潜み、第二次世界大戦で他国ならば崩壊レベルの損害を被りながらも、なんとか「勝った」という経験があります。

日本では悲惨な戦争体験が「敗戦」につながり、その結果として戦争行為を否定してきました。ところが、ロシアは壮絶すぎる戦争を経験したにもかかわらず、これは逆に「成功体験」になってしまったのです。

そうなると、「たとえ苦しくてもいずれは勝てる」という発想になり、国民の忍耐力に拍車がかかってしまいます。

こうした意識に加えて、ソ連崩壊後に大転落したトラウマも残っています。しかも、ソ連はアメリカなどの西側諸国と戦わずに瓦解したため、冷戦に負けたという歴史的事実を受け入れられず、その現状にも納得できていません。

まさにプーチン大統領がこの典型例とはいえ、こうした意識は一般国民にも多かれ少なかれ存在します。

こういう空気では陰謀論がまかり通りやすく、ウクライナのネオナチ化やロシア滅亡を企らむNATOの策謀を本気で信じる者も多いです。

はっきり言ってしまえば、「本物の戦争」をしないまま自滅したせいで、その自意識を変にこじらせてしまったわけです。

それは第一次世界大戦の敗因が国内の政治的混乱によるもので、軍事的敗北ではないと強がっていた戦間期のドイツに似ています(背後からのひと突き論)。

厄介なことに、このような意識はセルフ治癒が難しく、明らかな敗戦といったような現実を突きつけるしかありません。

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