「海の地雷」を取り除く
「機雷」は安全な航行を妨げるほか、航路全体や海域すら封鎖できる厄介者です。
戦争末期には本土決戦に備えるべく、日本軍が5万近い機雷を置き、日本封鎖を目論む米軍は1.2万個以上をバラ撒くなど、海上交通路が破壊されました。
この戦時中の反省を受けて、戦後の海上自衛隊は対潜哨戒とともに、機雷を除去する「掃海」に力を注ぎ、この任務を遂行する「掃海艇」を運用してきました。
現在の掃海艇をみると、「えのしま型」「ひらしま型」「すがしま型」の計3種類があって、各艇には掃海用の特殊装備が搭載されています。
- 基本性能:海自掃海艇
えのしま型(最新) | ひらしま型 | すがしま型 | |
排水量 | 570トン | 570トン | 510トン |
全 長 | 63m | 57m | 54m |
全 幅 | 9.8m | 9.8m | 9.4m |
速 力 | 14ノット (時速26km) |
14ノット (時速26km) |
14ノット (時速26km) |
乗 員 | 48名 | 48名 | 45名 |
兵 装 | 20mm機関砲×1 | 20mm機関砲×1 | 20mm機関砲×1 |
船 体 | 強化プラスチック | 木造 | 木造 |
建造費 | 約200億円 | 約175億円 | 約140億円 |
建造数 | 3隻 | 3隻 | 12隻 |
いろいろある機雷の種類のうち、磁気に反応・爆発するタイプがあるため、掃海艇の船体は木材が使われてきました。ただし、木造船は海水による腐食が進みやすく、最近は繊維強化プラスチック(FRP)を使い、より高い耐久性を確保しました。
また、掃海艇は護衛艦より小さいものの、機雷処分に使う特殊装備を搭載することから、意外に建造費が高くなります。「えのしま型」を例にあげると、「あきづき型」護衛艦の約1/10の大きさにもかかわらず、その建造費は1/4近くまでふくらみました。
その分、掃海における能力は高く、探知機(ソナー)で機雷を発見後、掃海具という装備で爆破処分します。
機雷には磁気反応型のみならず、接触で爆発する触発型、スクリュー音に反応する音響反応型、航行で生じる水圧差と微弱な電流に反応するものなど、多種多様の種類が存在しており、魚雷を撃ってくるタイプすらあります。
したがって、掃海艇にも多岐にわたる掃海具がそろい、対音響反応型では装置を曳航しながら、わざと音波を出して爆発させます。
ほかにも、20mm機関砲で銃撃処分したり、遠隔操作式の無人潜水艇、あるいは水中処分員が海中に潜り、機雷に爆薬を取り付ける場合があります。
実績と技量を誇る
さて、戦争末期の日本近海は機雷だらけになり、その数は6万個を超えました。
当然、戦後は除去せねばならず、日本海軍の消滅後も掃海部隊は活動を続けます。その過程で約80名の殉職者、200名以上の負傷者を出しながら、わずか数年で掃海活動が終わり、海上交通路の再生に成功しました。
こうして途方もない数を除去したところ、その実力がアメリカの目に留まり、朝鮮戦争にも投入されました。非公式な「特別掃海隊」とはいえ、約30個の機雷を処分した結果、連合国から高い評価をもらい、海自の創設にも影響を与えました(1名が殉職)。
その後、1991年に湾岸戦争が起きたとき、ペルシャ湾に機雷が敷設されたため、原油タンカーの航行が危ぶまれました。一刻も早い掃海が求められるなか、日本は掃海母艦1隻、補給艦1隻、掃海艇4隻の部隊を派遣します。
その担当海域といえば、他国が避けるほどの難所でしたが、危険海域を引き受けたにもかかわらず、海自の掃海部隊は殉職者も、負傷者も出すことなく、17個の機雷を除去しました。さらに、その後は別の海域に移り、17個を追加処分しています。
この「戦場」での働きを通して、諸外国から高い評価を獲得したものの、掃海における練度はともかく、装備面で他国に劣っていると判明しました。
海外派遣で課題が見つかった結果、国内では掃海具の研究開発が進み、湾岸戦争以降の掃海艇では改善されました。
一方、日本近海に再び目を戻すと、戦後80年が経過したとはいえ、いまも年間で3〜4個の機雷が見つかり、その処分に駆り出されるケースが多いです。大半は機能停止した不発弾状態ですが、潜在的に危険なのは変わらず、海自の掃海部隊に頼るほかありません。
こうした定期的な「実戦」により、海自の掃海部隊は高い実績を持ち、その技量は世界トップクラスです。また、新しい無人潜水艇を導入するなど、遅れていた装備面でも追いつき、他国に負けない充実ぶりになりました。
ところが、対機雷戦も行う「もがみ型」護衛艦の登場にともなって、大規模な組織改編と能力統合が進み、掃海部隊も縮小される見込みです。
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