準戦車?陸自・89式装甲戦闘車の役割と後継について

自衛隊の装甲戦闘車 陸上自衛隊
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日本初の歩兵戦闘車

地上戦で戦車は恐ろしい存在とはいえ、対戦車ミサイルの脅威には勝てず、特に携行式の対戦車火器は難敵です。これらを操る敵の歩兵を狩るべく、通常は味方の歩兵が「護衛」を担い、戦車に随伴せねばなりません。

装甲兵員輸送車で歩兵を運び、戦車のお供はできるようになったものの、次第に単なる輸送のみならず、火力支援の役割も求められました。

そこで開発されたのが「歩兵戦闘車」という装甲車両です。これは兵員輸送車でありながら、大口径の機関砲などを持ち、まるで「準戦車」のような存在です。

歩兵戦闘車の開発は冷戦期に始まり、アメリカの「M2ブラッドレー」は対戦車ミサイルを備えるなど、その重武装ぶりは世界に衝撃を与えました。

ブラッドレーの登場を受けて、各国が新型車両の開発を急ぐなか、日本は歩兵戦闘車では遅れをとり、旧式の兵員輸送車を使っていました。この遅れを挽回すべく、1980年代には初の歩兵戦闘車に取り組み、「89式装甲戦闘車」を登場させます。

  • 基本性能:89式装甲戦闘車
重 量 26.5t
全 長 6.8m
全 幅 3.2m
全 高 2.5m
速 度 時速70km
行動距離 約400km
乗 員 要員3名+同乗7名
兵 装 35mm機関砲×1
7.62mm機関銃×1
79式対舟艇対戦車誘導弾×2
※車内に予備弾2発搭載
価 格 1両あたり約7億円

M2ブラッドレーに強く影響されたゆえ、89式装甲戦闘車は「日本版ブラッドレー」とも呼び、設計面での類似点が多く見受けられます。しかし、自衛隊が歩兵を「普通科」と呼ぶ以上、諸外国のように歩兵戦闘車ではなく、装甲戦闘車という名前になりました。

その見た目は小さい戦車のようですが、車体には新しい防弾鋼板(当時)を使い、機関銃弾や砲弾の破片には耐えられます。また、NBC兵器に対する防護力もあって、他国の歩兵戦闘車と同等の防御力を入手しました。

攻撃面をみると、35mm機関砲はM2ブラッドレーを上回り、側面には79式対舟艇・対戦車誘導弾を備えました。これは敵の戦車だけではなく、上陸用舟艇も撃破できることから、対上陸作戦では有効に働きます。

射撃する89式装甲戦闘車(出典:陸上自衛隊)

機動力ではキャタピラ式の採用により、90式戦車に余裕で随伴できるほか、不整地走破能力を確保しました。

その車内には7名が乗り込み(詰めて座れば8名)、M2ブラッドレーの定員が6名、ソ連の「BMP-2」が7名である点を考えると、89式の兵員輸送力は十分といえます。

一方、車内から外に銃を撃つべく、小さな穴(ガンポート)を設けたものの、これは防御上の弱点になり、実用性も疑問視されてきました。M2ブラッドレーにも同じ穴があるため、89式もそのまま影響を受けたのでしょう。

高すぎて数がそろわず

以上のとおり、世界の歩兵戦闘車と比べても、89式は性能面では負けておらず、諸外国と肩を並べた国産車両です。ところが、1両あたりの値段は7億円と高く、その調達数はわずか68両で終わりました。

最初から全国配備は想定しておらず、90式戦車のいる北海道限定とはいえ、その同伴すべき戦車は340両も生産されました。これに対して、89式の生産数は20%にすぎず、随伴するには数が足りていません。

たとえば、「第7師団」は唯一の機甲師団として、装甲面で優遇されるにもかかわらず、歩兵戦闘車の数が十分からはほど遠く、いまだ旧式の73式装甲車を使っています。

ここで焦点になるのが後継の有無ですが、「近接戦闘車」なるものを検討したあげく、開発しないまま消えました。その後、中国の海洋進出をふまえて、「水陸両用装甲車(AAV-7)」が優先されたため、いまも89式の後継案は白紙状態です。

ちなみに、似たコンセプトの車両として、24式装輪装甲車が登場しましたが、これはタイヤ式の車両であって、89式のようなキャタピラ式ではありません。その随伴対象も戦車ではなく、同じ装輪式の16式機動戦闘車になり、分類的には歩兵戦闘車とはいえません(近いが)。

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