西側が焦ったソ連の歩兵戦闘車
現代地上戦においては、敵兵を蹴散らせる火力と戦車に同行できる機動力を持ち、味方兵士を戦場まで運べる歩兵戦闘車が欠かせません。
その代名詞といえるのがアメリカの「M2ブラッドレー」ですが、現在のような歩兵戦闘車を西側諸国に先駆けて登場させたのはソ連の方でした。
それが1966年に開発された「BMP-1」という車両で、当時のアメリカは火力で劣るM113装甲兵員輸送車ぐらいしか持っておらず、強いの危機感と焦りを覚えました。
その後、このBMPシリーズは東側陣営の標準装備になり、いまも旧ソ連諸国を中心に使われています。
⚪︎基本性能:BMPシリーズ
BMP-1 | BMP-2 | BMP-3 | |
重 量 | 13.2t | 14.3t | 18.7t |
全 長 | 6.74m | 6.74m | 7.14m |
全 幅 | 2.94m | 3.15m | 3.2m |
全 高 | 1.88m | 2.45m | 2.4m |
乗 員 | 3名+同乗8名 | 3名+同乗7名 | 3名+同乗7名 |
速 度 | 時速65km(整地) 時速8km(水上) |
時速65km(整地) 時速7km(水上) |
時速72km(整地) 時速10km(水上) |
行動距離 | 約500km | 約600km | 約600km |
兵 装 | 73mm滑腔砲×1 7.62mm機関銃×1 対戦車ミサイル×4 |
30mm機関砲×1 7.62mm機関銃×1 対戦車ミサイル×4 |
100mm滑腔砲×1 30mm機関砲×1 7.62mm機関銃×3 対戦車ミサイル×4 |
価 格 | 約1億円 | 約5,000万円 | 約1.5億円 |
まず、最初に開発された「BMP-1」は8名を運べるのみならず、最大400mmの装甲を貫ける73mm砲を搭載して当時の西側戦車とも互角に渡り合えました。
ほかにも、機関銃と対戦車ミサイルなどを載せて軽戦車並みの重武装を誇り、NBC兵器(放射能、生物・化学兵器)への対策として空気清浄機もつけられました。
東西陣営の核戦争が想定されるなか、進撃スピードを重視する陸軍大国・ソ連にとってBMPシリーズは注目の新兵器だったわけです。
ところが、機動力優先の対価として犠牲にされた装甲は、機関銃弾が貫通するほど薄く、「穴あきチーズ」とも揶揄される原因になりました。
73mm砲も遠距離での命中率が悪く、対戦車ミサイルは発射時の発煙が多いうえに、再装填は外に出て1発ずつ行う必要がありました。
さらに、兵士が乗るスペースはかなり狭く、燃料タンクを兼ねた後部ドアは被弾・炎上しやすいという致命的欠点を抱えています。こうした防御力の低さと居住性の悪さから、あえて車外に乗ったり、到着後はすぐに下車する兵士が多かったそうです。
すなわち、西側諸国への喧伝とその焦りとは裏腹に、実際のBMP-1は運用上の問題が多かったのです。
弱点を抱えたままのBMP-2
次に登場して1980年から配備が始まった「BMP-2」は、新しい対戦車ミサイルを採用するとともに、主武装を対空射撃もできる30mm機関砲に変更しました。
この機関砲は弾薬の種類と発射速度を変えられる柔軟性を持っていたものの、威力不足の感は否めず、軽戦車としても使いたいソ連軍にとっては物足りませんでした。
ウクライナ軍の「BMP-2」(出典:アメリカ国防省)
他方、防御力はほとんど強化されておらず、重機関銃にも耐えられない脆弱性を抱えたままでした。この弱点はBMP-1とともに投入されたアフガン侵攻で明らかとなり、ゲリラ攻撃によって多くの被害を出しています。
それでも、BMP-1と同様に2万両以上が生産されて同盟・友好国にも輸出されたため、旧東側陣営では未だに必須装備として扱われています。
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