マッハ3を超える高高度偵察機
冷戦中のアメリカは秘密に包まれたソ連領奥深くを偵察するために高高度偵察機U-2ドラゴンレディを開発したものの、対空ミサイルに撃墜されるリスクが高かったことから、高高度での飛行性能を維持しながらミサイルを回避できる超音速飛行機「SR-71」の開発が進められました。
⚪︎基本性能:SR-71 ブラックバード
全 長 | 32.7m |
全 幅 | 16.9m |
全 高 | 5.63m |
乗 員 | 2名 |
速 度 | 約マッハ3.3 (時速3,529km) |
航続距離 | 5,230km |
実用上昇限度 | 26,000m |
黒い外見から「ブラックバード」の愛称で知られるSR-71は冷戦真っ只中の1960年代に開発が始まり、配備後の1976年には有人実用機としては世界最速記録の時速3,529km(約マッハ3.3)を叩き出したうえ、高度25,900mでの安定飛行というU-2をも超える偉業を達成しました。
「マッハ3.3」ともなれば逆にイメージがつかみにくいですが、これは通常6時間はかかるアメリカ西海岸のロサンゼルスと東海岸のワシントンDCを「67分」で結べる速さです。ほかにも、あの有名な超音速旅客機コンコルドですら最速2時間52分かかったニューヨーク・ロンドン間をわずか1時間54分で飛行した記録も出しています。
この超音速飛行を実現した2基のエンジンは、空気圧縮を効率的に調節する電子制御機能など当時としてはかなり先進的な技術を採用しており、排気に対してもう一度燃料を吹き付けることで爆発的な推力を得る「アフターバーナー」の長時間使用も可能にしました。

このように高高度と超音速域での飛行性能を兼ね備えたSR-71は、化け物級の速度がもたらす最高700℃の摩擦熱にも耐えられるように機体の90%以上がチタン合金で構成され、外見的特徴の黒い塗装も放熱効果があるとされています。これだけ外部が高温にさらされても、パイロットの安全は確保されていますが、U-2と同様に高高度飛行を考慮した宇宙服に近い専用スーツを着用しなければならず、トイレもオムツなどを履いて対応せねばなりません。
ちなみに、平べったい見た目からステルス機と思われるがちなSR-71は塗装と設計を通じてステルス性の獲得を目指したものの、実際にはソ連側レーダーに何度も捕捉されていました。ただ、ステルス黎明期においてSR-71がもたらした技術的教訓は大きく、後に登場するB-2ステルス爆撃機の開発に貢献する形となりました。
期待通りだが、特殊すぎる構造はコストに影響
期待に応えて高高度と超音速を両立させたSR-71は計32機が製造されて、ソ連や北ベトナムに対する偵察任務で活躍しますが、うち12機は事故によって失われました。ただ、当初の目論見どおり「撃墜」された機はなく、ソ連側の対空ミサイルに捕捉されたにもかかわらず、自慢の速さで振り切ったケースもあります。
一方、こうした特殊な性能は運用において手間とコストが他の航空機よりかかってしまうのが悩みのタネでした。例えば、燃料とエンジンオイルは耐熱性を重視した特殊なものを使っており、飛行準備も離陸の24時間前から始めなければなりません。
また、超音速飛行時の高熱がもたらす機体の膨張を考慮して、機体外部のパネルにはわざと隙間が設けられているため、地上にいる間はここから若干の燃料流出が発生します。そのため、安全上の理由から離陸時は必要最低分だけの燃料を積み、離陸後に空中給油機を介して残りの燃料を供給してもらうという面倒な運用を強いられるのです。

このように入念な準備と複雑な運用が求められるSR-71は1時間あたりの運用コストが約2,500万円にも上るので、冷戦が終結して、人工衛星の偵察能力が向上すると「お役御免」となりました。その後、湾岸戦争や北朝鮮による核開発では偵察衛星による十分な情報収集ができなかったことから現役復帰の計画が浮上しましたが、NASAに試験機として一部が移籍した以外は21世紀前に引退しました。
有人機として未だに破られていない世界最速記録を持つSR-71ですが、あまりに特殊な機体がゆえに運用コストが割に合わず、進化する無人機や偵察衛星に座を譲るしかありませんでした。
では、果たして世界最速のSR-71に後継機はいるのか?
実は現在「SR-72」と呼ばれる後継機が開発されていて、SR-71の倍となる最大マッハ6の極超音速飛行を目指していますが、さすがに有人機の限界を超えているので無人機として2030年頃の運用開始に向けて開発中です。
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