遅れて登場した海自初のミサイル艇
小型で機動力に優れ、対艦ミサイルによる打撃力を持つ「ミサイル艇」は、かつて各国で運用されていた魚雷艇のポジションを奪う形で戦後登場しました。比較的廉価にも関わらず、対艦ミサイルで高価な大型艦を仕留められることから中小国の海軍や沿岸防衛で重宝されてきましたが、日本も遅ればせながら1990年代に初のミサイル艇「1号型」を導入します。
⚪︎基本性能:1号型ミサイル艇(退役済み)
排水量 | 50t(基準) |
全 長 | 21.8m |
全 幅 | 7m |
乗 員 | 11名 |
速 力 | 46ノット(時速85km) |
航続距離 | 約740km |
兵 装 | 20mmバルカン砲×1 対艦ミサイル×4 |
価 格 | 1隻あたり約66億円 |
海上自衛隊は1970年代に時代遅れになりつつある魚雷艇に代わってミサイル艇の導入を目指しますが、オイルショックに伴う混乱のあおりを受けて建造計画が頓挫しました。その後、1980年代にようやく再度検討が行われ、1990年代に海自初のミサイル艇として建造されたのが「1号型」の3隻です。
最大の特徴は水中翼(ハイドロフォイル)と呼ばれる技術を導入したことですが、これは船の下に「翼」を付けることで海面との接触面を小さくして水の抵抗を大幅に減らします。そのため、普通の船よりも高速で水上を航行することが可能であり、日本では民間の高速フェリーも採用している技術です。
1号型ミサイル艇もこの技術を使うことで海自で当時最速の46ノットという俊足を誇りましたが、この記録は未だに破られていません。通常の艦船はどんなに大型かつ高出力なエンジンを搭載しても速力は40ノット前後で頭打ちとなるので、「46ノット」という数字がいかに速いかが分かります。
本艇の設計はこの分野で先行していたイタリア海軍のミサイル艇をほぼ踏襲しており、船体にはアルミ合金が多く用いられていました。船体は満載排水量でも60トンとかなり小ぶりですが、国産の90式対艦ミサイルを4発装備していたので大きさの割には高い打撃力を有していたと言えます。

この対艦ミサイルがまさにミサイル艇にとっての要であり、相手からすれば脚の速い小型船がちょこまか動き回っていると思ったら対艦ミサイルを撃ってくるわけです。通常の護衛艦が8発の対艦ミサイルを搭載していることを考えると、排水量ではるかに小さい1号型ミサイル艇が4発も装備していたのは特筆すべきでしょう。
さて、1号型ミサイル艇は他にも遠隔操作型の20mmバルカン砲を1門備えていましたが、これは不審船などに対する威嚇射撃を想定したものでした。北朝鮮の工作船などを追跡する場合は大型の護衛艦よりも俊足かつ機敏なミサイル艇の方が適任だったのです。また、小型ながら情報処理・共有システムも備えることでP-3C哨戒機との連携も可能であり、敵艦の捕捉から不審船の追跡に至るまで「空の目」と連携しながら対応できたそうです。
俊足だが、小さすぎて使いづらい?
海自初のミサイル艇として期待された1号型ですが、荒波に対して船体の強度や抗堪性が足りないことが判明したため、特に冬の日本海での運用が難しくなりました。また、小さな船体に重装備の対艦ミサイル4発を搭載したうえで、最速46ノットで動き回ることから転覆しないための重心位置の管理が厳しく、グラム単位での重量制限が徹底されたそうです。
したがって、11名の乗員が過ごす居住区はお世辞にも快適とは言えず、物資や備品も最低限で済まされていました。船に搭載できる食料・物資が限られているので、ミサイル艇の寄港予定地に整備や補給を行う部隊があらかじめ展開し、トラックで食料や水を現地に運び入れる体制を構築します。このように1号型ミサイル艇は船体があまりに小さいため、地上の支援部隊に依存せざるを得ず、長期間の活動や独立した行動ができなかったのです、
こうした荒波に対する弱さと地上部隊への依存から1号型ミサイル艇は使い勝手が良いとは言えず、結局3隻で建造が打ち切られ、登場してから15年ほどで退役となりました。期待通りの性能を発揮できず、海自艦としては「短命」に終わった1号型ミサイル艇ですが、水中翼の導入も含めて「実験的」な意味合いも強く、得られた教訓は後継の「はやぶさ型」ミサイル艇にしっかり生かされています。この「はやぶさ型」は1号型の反省点を踏まえて船体を大型化しており、地上部隊に依存しなくて済む独立行動能力が付与されており、海自最速のポジションも受け継いで現役で活動中です。
コメント