戦後2代目の国産戦車
陸上自衛隊で10式戦車の配備にともなって、約半世紀も主力を務めた「74式戦車」が退役しました。
本州や九州にも配備されたところ、北海道限定の90式戦車より目にする機会が多く、一般の方にも馴染みのある戦車でした。
- 基本性能:74式戦車
| 重 量 | 38t |
| 全 長 | 9.41m |
| 全 幅 | 3.18m |
| 全 高 | 2.25m |
| 乗 員 | 4名 |
| 速 度 | 時速53km |
| 行動距離 | 約300km |
| 兵 装 | 105mmライフル砲×1 7.62mm機関銃×1 12.7mm機関銃×1 |
| 価 格 | 1両あたり約4億円 |
74式戦車は「ナナヨン」の愛称を持ち、戦後2代目の国産戦車になるべく、1960年に開発が始まりました。
当時の日本戦車は諸外国に比べると、総合技術力では遅れていたうえ、戦車大国・ソ連が仮想敵だったことから、ソ連戦車に対抗せねばなりませんでした。そんな74式は同世代の西側戦車に劣らず、日本戦車の「弱い」イメージを覆しました。
まず、外見は90式のような四角い砲塔ではなく、丸型の砲塔を採用していますが、これは敵の砲弾が当たったとき、曲線に沿って逸らす「避弾経始」の効果があります。
国産鋼板の装甲と避弾経始のデザインにより、全体の防護力は同世代のソ連戦車に追いつき、正面装甲はドイツのレオパルト1戦車より厚いぐらいです。
主砲には105mmライフル砲を選ぶものの、西側標準が120mm滑腔砲に変わったため、貫通力を高めた砲弾で攻撃力を確保しました。
そして、砲塔に大出力の赤外線暗視投光器を置き、白色・赤外線モードを使い分けながら、夜間戦闘での状況認識能力を高めました。白色モードが2km先でも本が読めるほど明るく、赤外線モードは使用中に近づくと火傷するほどです。
一方、74式戦車は自動装填装置が付いておらず、装填手を含む4名で操作しますが、エアコンもない狭い車内は快適ではありません。
ただし、NBC兵器(放射能・生物・化学)に対処するべく、密閉構造で国産戦車初の防護力を持ち、潜水装置の使用で水深2メートルまで渡河可能です。
また、車体には油気圧サスペンションを使い、その姿勢を前後左右に変化させながら、射撃安定性と地形への適応力を向上させました。この能力は防御戦闘では有利に働き、斜面に隠れて待ち伏せ攻撃したあと、優れた加速性能で迅速な陣地転換を行えます。
退役後の予備保管
74式戦車には当時の国産技術が集まり、戦後最多の870両以上が生産されたところ、事実上の主力戦車になりました。
しかし、同世代の戦車は順次改良されていき、能力を引き上げたにもかかわらず、74式は大きな近代化改修を受けていません。
それゆえ、1990年代には老朽化と能力不足が目立ち、10式戦車と16式機動戦闘車で更新されました。
その結果、2024年3月に全車両が現役を退き、全国の駐屯地に展示されています。
他の車両はスクラップ処分だけではなく、一部は「予備兵器」として保管されました。ロシア=ウクライナ戦争が進むにつれて、両軍とも旧式戦車を倉庫から引っ張り出すなど、消耗戦における予備兵器の重要性が認識されました。
たとえ74式のような古い戦車であっても、状況や運用次第ではまだまだ役立ち、74式も再利用できる体制を整える形です。
むろん、日本の想定する海・空戦、島嶼戦は大規模な地上戦とは違って、戦車の出番がそう多くありません。しかも、すでに生産が終わっている以上、関連部品の確保という問題があります。
さはさりながら、戦車自体の定数が削減されるなか、一定の旧式戦車を保管しておくべきでしょう。これは兵器保管の研究的な側面もあって、日本の環境に適したモスボール技術につながります。
ひとえに保管といっても、アメリカのように砂漠に置くわけにはいかず、日本特有の高温・多湿な気候の下、短期間で再稼働させなければなりません。
この取り組みは難易度が高く、まずは専用施設を作りながら、約30両を保管するそうです。保管対象には90式戦車、多連装ロケットシステム(MLRS)を含み、徐々に数を増やしていくと思われます。
部品取り用をふまえて、最低でも50〜60両を保管しておけば、それなりの予備戦力にはなります。
予備兵器になるとはいえ、その生涯を通して1回も出番がなく、抑止力としての役目を終えたのは「勝利」であるほか、戦車としては幸せな最期かもしれません。


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