実績と技量を誇る海自掃海部隊
さて、冒頭で戦争末期に日本近海は6万を超える機雷で埋め尽くされたと説明しましたが、戦争が終わるとこれらを当然除去せねばならず、日本海軍が消滅した後も掃海部隊は事実上存続させられます。
そして、80名近い殉職者と200名以上の負傷者を出しながら数年で掃海活動をほとんど完了させ、復興に欠かせない海上交通路の確保に成功しました。
こうして途方もない数の機雷除去に成功した掃海部隊は、その実力を買われて非公式な特別掃海隊として朝鮮戦争にも投入されました。
1名の殉職者を出しながら約30個近い機雷を処分した結果、当時の連合国から大いに評価されて後の海自創設に影響を与えたとさえいわれています。
訓練で爆破処分する掃海艇(出典:海上自衛隊)
その後、1991年の湾岸戦争では原油タンカーが無数航行するペルシャ湾に機雷が敷設され、一刻も早い掃海が求められるなか、日本は掃海母艦1隻、補給艦1隻、掃海艇4隻から成る掃海部隊を派遣しました。
海自の担当海域は他国が遠慮するほど難しいエリアでしたが、この危険海域を引き受けた海自掃海部隊は殉職者も負傷者も出すことなく、17個の機雷除去に成功しました。さらに、その後も別海域の掃海で17個の機雷を追加処分しています。
この働きによって海自の掃海部隊は諸外国から高い評価を獲得した反面、こうした「実戦」を通じて掃海装備では他国に劣っている事実が判明しました。
このように国内での活動では分からなかった課題が海外派遣で見つかった結果、その後に建造された掃海艇では改善されました。
無人掃海具を使う様子(出典:海上自衛隊)
海自の掃海部隊は戦後約80年が経過した今も戦時中の機雷処分に駆り出されるケースがあり、年平均で3〜4個の処分を実施しています。
これら機雷の大半は機能停止した不発弾のような状態ですが、潜在的に危険であることに変わりはなく、海自の掃海部隊に頼るほかありません。
多くの実績を持つ海自・掃海部隊の技量は世界トップクラスであり、装備面でも機雷掃討用の無人潜水艇を導入するなど、他国と遜色ない充実ぶりになりました。
こうしたなか、対機雷戦能力も有する「もがみ型」護衛艦の登場によって大規模な組織改編と能力統合が進められ、掃海部隊の規模も縮小される予定です。
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