無人攻撃機のパイオニア
いまでこそ無人機が偵察から攻撃まで当たり前のようにこなしていますが、世界に先駆けてこのスタイルを確立したのがアメリカの「MQ-1プレデター」でした。
もともと偵察機として開発されたことから「Reconnaissance(偵察)」の頭文字を取って「RQ-1」と呼ばれたものの、その後は武装型が登場して「Multi-Role(多用途)」へと変更されました。
- 基本性能:MQ-1プレデター
全 長 | 8.23m |
全 幅 | 14.8m |
全 高 | 2.1m |
要 員 | 2名 |
速 力 | 時速217km |
航続距離 | 3,700km |
高 度 | 7,600m |
兵 装 | ヘルファイアミサイル×2 スティンガーミサイル×2 |
価 格 | 1機あたり約5億円 |
アメリカが1980年代から無人偵察機に取り組むなか、特に熱心だったのが空軍ではなくCIA(中央情報局)だったそうです。まさにスパイするのが仕事のCIAにとって、航空偵察も重要手段のひとつですが、高高度偵察で有名なU-2ドラゴンレディも当初はCIAが開発を進めたものでした。
そして、MQ-1プレデターもCIAが小型で音の静かな無人機を求めたのが発端です。
その後、1995年に運用が始まったプレデターは、民族紛争中のバルカン半島にいきなり投入されて偵察を行います。ここでは事故や対空砲火にとって数機を失ったとはいえ、有人機と違って味方の人的損害はなく、低リスクの利点をさっそく示しました。
航空博物館に展示されたMQ-1プレデター
プレデターは地上にある誘導ステーションから衛星通信を使って遠隔操作しますが、その機体と誘導ステーションを含む機材一式は、C-130輸送機などで世界各地に空輸できました。
パイロットとセンサー担当の2名体制で操縦を行い、通常はここに攻撃目標を見極める情報分析官が同席します。
当初は通信技術の限界から運用基地の近くで誘導していましたが、技術進歩にともなってその後は地球の裏側にある司令部からも操作可能になりました。
よって、操作要員は安全なアメリカ本土から遠くアフガニスタンのタリバンを攻撃できたものの、それは感覚をバグらせる「異常な日常」であり、現実味のない戦闘行為はPTSDをもたらすケースも多かったそうです。
対テロ戦での実績と退役
プレデターは機体尾部にプロペラがついており、機首には画像カメラと赤外線カメラ、JDAM爆弾やミサイルを誘導するレーザー指示器を装備していました。
また、自衛用のスティンガー対空ミサイルも載せられたため、イラク戦争では世界初の「有人機vs無人機」という空戦を繰り広げました(このときはMQ-9側が撃墜された)。
高性能カメラ・センサーを使っての長期監視・偵察任務もこなせるなか、プレデターがその真価を発揮したのはアフガニスタン戦争での対地・対人攻撃です。
アフガニスタンは山岳地帯が多く、長時間にわたって空を飛びつつ、目標を待ち構えられるプレデターは打ってつけの兵器でした。
そのため、タリバン側の要人暗殺に多く投入されましたが、気付かないうちに接近されて、いきなりヘルファイア対戦車ミサイルを撃ってくるプレデターは敵にとってはまさに恐るべき存在です。
バルカン紛争に始まり、イラク戦争、アフガニスタン戦争、リビア内戦で実戦投入された結果、プレデターは偵察型・武装型を合わせて約360機が生産されました。
現在は改良型のMQ-9リーパーにその座を譲ったものの、その外見や運用方法などはMQ-1を踏襲しており、プレデターがいかに無人攻撃機として革命的であったかを端的に表しています。

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